【開催報告】さようなら原発9.23全国集会 「ともに声をあげよう!―脱原発と気候正義のために」

脱原発・気候正義の意志、再度強固に

ようやく記録的な猛暑から一息ついた9月23日、代々木公園に全国各地から4500人が集まって『ともに声をあげよう!~脱原発と気候正義のために~』のタイトルのもと「さようなら原発9.23全国集会」が開かれました。

メインステージでは13時からオープニングライブとして半農・半歌手でシンガーソングライターのYaeさんの澄んだ歌声が秋空に響きました。集会は落語家の古今亭菊千代さんの司会で、ルポライター鎌田慧さんと作家の落合恵子さんの挨拶から始まりました。

スピーチではワタシのミライの川﨑彩子さんが気候正義と脱原発に向けて社会運動に取り組む決意を話しました。

哲学者で東大名誉教授の高橋哲哉さんは「原発は四つの犠牲で進められている。一つは過酷事故による犠牲、これは福島で経験した。二つ目は原発労働者の被曝労働、三つ目に先住民の犠牲でウラン鉱山の開発で居住地を追い出されるなどがあり、四つ目の犠牲は放射性廃棄物で後生の人に押しつけようとしている。日本政府が原発に固執する理由に核武装の能力保持があるのではと指摘し、さようなら原発・地球沸騰化を食い止めるために力を合わせましょう」と結びました。

パネルトークでは、呼びかけ人の藤本さんが音頭を取って、4人に順に発言をしてもらいました。
No Youth No Japanの足立あゆみさんは、「島根原発の近くで育ち、原発事故の対策でヨウ素剤が配布されたのを覚えている。大学に入ってから社会運動を始めた」と話しました。Friday For Future Tokyoの門脇颯生さんは「気候正義に興味を持ち、世界一周しグローバルサウスと呼ばれる地域を回る中で、気候変動に興味を持ち環境問題に取り組み始めた。原発も都市と地方との関係で不平等だと思い、声を挙げ始めた」と語りました。
飯泉厚彦さんは「原木椎茸を生産しているが、生協の応援があり今に至っている。椎茸の被害は事故後半年位してからで、原木が汚染されると椎茸が汚染される。放射能が検出されるとFAX1枚で取引を停止させられた。廃業もよぎったが、椎茸栽培の勉強会をやる中で消費者に買い支えてもらっている。消費者の一人に家族が福島原発で働いている人もいて驚かされた。地震大国の日本でどのような電力政策をしていくか考えて行政(国)に訴えていきたい」と語りました。
反貧困ネットワークの加藤美和さんは「排外主義勢力には抵抗していきたい。在留資格がない人たちの支援に携わっている」と話しました。
まとめとして呼びかけ人の藤本泰成さんは「若い世代には正義がある。原発で、気候危機で、地球は壊さないでという若い世代の声に答えていかなければいけない。私たち一人一人の命が尊重される社会のために様々なアプローチから頑張りましょう」と結びました。

 

 

各地報告では台湾緑色公民行動連盟のツィ・スーシンさんとリン・ジョンイェンさんから「台湾では5月17日、最後の原発が稼働を停止した。2011年の福島原発事故は台湾にも強い影響を与えた。2014年には5万人の人で道路を占拠して原発建設を中止させた。原発停止に共に頑張りましょう」と話しました。

福島原発告訴団の中路良一さんは、歌とダンスの皆さんと共にステージに上がり、「3月最高裁は東電幹部を免罪にした。しかし、裁判の成果は様々な裁判に引き継がれる。汚染水の海洋放出に続き汚染土の全国拡大、避難困難区域の除染なき自己責任による活動の自由化、リノベーション構想があり、引き続きご支援をお願いします」としました。

柏崎刈羽原発再稼働是非を県民投票で決める会の寺田恭子さんは「柏崎刈羽再稼働を県民投票で決めようと14万3千筆余を集めたが、議会で否決された。議会で『原発の問題は専門的で、県民の判断は難しい』『投票の結果次第では自由闊達な議論が難しくなる』という声が聞かれ憤りを感じた」と話しました。

反原発新聞の末田一秀さんは関電の使用済核燃料の満杯の状況を報告し、この問題で原発停止を作り出そうと話しました。

(撮影:金浦蜜鷹)(撮影:片岡遼平)

1500回以上の東電記者会見に出ているおしどりマコケンさんの漫談の後、渋谷、原宿の2コースに分かれパレードが行われました。

12:00~ ミニステージ 「気候危機と原発」

冒頭、コムアイさん・350.org Japanのすてきな曲「なんか地球がおかしい」を流して、ダンスを紹介しました。
続いて、Fridays For Future Tokyoの山口れいさん、原子力資料情報室の松久保肇さん、FoE Japanの吉田明子とで、トークをしました。
それぞれが活動を始めたきっかけや想いを共有し、原発と気候危機に共通する不正義の問題や、活動を広げるために工夫していることなどを話しました。
コストも高く建設に時間もかかる原子力は、気候対策としても有効なものではありません。今必要なのは、すでに確立している省エネ・再エネを最大限進めることです。
30~50人程度が参加、最後にコールをして終了しました。

(運営:ワタシのミライ)

13:00~ミニステージ「台湾の脱原発報告」

脱原発を実現した台湾から来日した崔愫欣(ツィ・スーシン)さんは、メインステージで次のように5分間アピールを行った。
「みなさん、こんにちは。私は台湾緑色公民行動聯盟の事務局長、崔愫欣(ツイ・スーシン)と申します。台湾における反原発運動の現状についてご報告いたします。今年の5月17日、最後の原子炉が正式に稼働停止し、台湾は「原発ゼロ」の時代に突入しました。
台湾には3か所、計6基の原発がありました。第四原発は市民の反対運動で、建設を遅らせ、稼働を阻止しました。2011年の福島第一原発事故は台湾に強い影響を与えました。反原発運動が拡大し、2013年には22万人デモを行ないました。2014年、台北駅前の道路を5万人が(15時間)占拠しました。翌朝、警察に排除されましたが、政府は第四原発の建設中止を宣言しました。
2016年に政権交代し、民進党政権は脱原発政策を進めました。しかし野党など原発擁護派は、脱原発に抵抗してきました。直近では8月23日に行われた第三原発再稼働の国民投票でしたが、投票率が足りず、再稼働は否決されました。しばらくは、原発ゼロが続きます。
老朽化した原発を再稼働してはなりません。原発擁護派の活動が続くので、私たちは引き続きたたかっていきます。最後に、長年にわたって反原発の活動を行ってこられた日本の皆様に感謝申し上げます。アジアの原発ゼロに向かって、いっしょに、がんばりましょう」
前段のサブステージでは、この内容に加えて、台湾の脱原発運動の経過を詳しく話した。
崔愫欣さんは、日本から輸出される第四原発建設計画に反対する現地住民、貢寮の人びとの闘いを、6年かけてドキュメンタリー映画「こんにちは貢寮」にした。2005年、台湾各地、日本各地で上映会が行われた。
その後、彼女は緑色公民行動連盟の事務局長となり、第四原発建設に反対する運動を粘り強く続けた。第四原発の建設は進んだが、建設を遅らせることはできた。
そして2011年、「福島原発事故を繰り返してはいけない」と台湾の反原発運動は再び大きく燃え上がり、2012年になると誰でも参加しやすい柔らかな運動が台湾全土に広がった。
2013年に、緑色公民行動連盟が事務局団体となって、126団体(その後200団体)で「全国廃核行動プラットフォーム」を結成し、22万人デモ(人口比で日本なら100万人デモ)を実施した。
そして、2014年4月27日、5万人のデモ隊が台北駅前の8車線道路を15時間にわたって占拠、座り込んだ。こうした闘いの結果、98%完成していた第四原発の建設は凍結された。彼女は、2013年、14年のデモの総指揮者だ。
2016年に民進党政権は「非核家園(脱原発)」政策を確定し、2018年に第一原発1号機が40年の寿命で廃止となり、それ以降、次々に1機ずつ廃止となり、そして今年5月17日に、最後の第三原発2号機が運転を終了し、台湾は原発ゼロとなった。
しかし、台湾立法院では原発延長法案が可決されており、まだ安心はできない。
彼女は言う。「私たちは、これからも引き続き努力していきます。世界の原発を使いたい国々と原発を推進している勢力は、実は手をつないでいます。だからこそ、私たちの原発反対運動も、ちゃんと手をつないで連帯しないといけないのではないかと思います」

(運営:NNAF、原水禁)

 

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