10.13「さようなら原発集会in日比谷」発言録

 10月13日、東京・日比谷野外音楽堂で開催された「さようなら原発集会in日比谷」での、登壇された皆様の発言を編集してまとめました。

落合恵子さん(作家・呼びかけ人)からのメッセージ

「メッセージ」

 みなさん、元気ですかー! 落合恵子です。
開始時間の変更で、メッセージのみで参加になってしまったことを、とても残念に思います。
 今日、ここにお集まりになった、それぞれの「あなた」と一緒に、わたしも、ここにいたかった!
 わたしは、名古屋で原発反対を叫んできます。

 あの日から、1年と7ヶ月。
 なのに、どうですか?
 もうすっかり、あの日がなかったかのように、この国は、動き出していませんか?
 なにひとつ収束していないにもかかわらず、福島第一原発苛酷事故など「なかった」かのように、 この国は動いているのです。

 与党も、野党も、代表選は、原発推進派がほとんどでした。
 オスプレイは沖縄の空を飛び、憲法改悪への動きが再びあらわになりつつあります。
 原子力ムラは相変わらずで、着々と原発推進に向かっています!
 大飯原発は、再稼働したままです。大間原発の建設は、はじまりました。
 規制委員長は、誰がなりましたか? 
 そうして政府は、冬の節電要請を言葉にし始めました。
 北海道は、10%超などと言っています。
 この夏にあれほどの喧伝をした電力不足はウソだったとことを、わたしたちの多くは
 すでに知っているにもかかわらず、わたしたちのすべては、すでに体験しているのにもかかわらず、です。

 こんなことで、いいですか?
 いいわけありません!

 原発は、放射性廃物を生み続けます。人間は、その処理をできません。
 何万年も待たなければ、放射能は消えません。
 「ホウシャノウこないで!」と言った子どもの声を、思い出してください。
 もう一度、あの日に戻りましょう!
 あの日を、しっかり刻みましょう!
 昨夜、会った南相馬の四人の女性たち、いまこの会場におられると思います。
 何度でも心に刻みましょう。
 福島に戻れない人が、どれだけいるかを。
 不安を抱えながら福島で暮らす人々のことを。
 そうして、民意を国会にとどけましょう!
 何度、弾かれようと、何百回、煮え湯を飲まされても、何千回、門前払いをくらおうと、 反原発のわたしたちの意志を、この思いを葬り去ることは決してできないのだ、
と思い知らせてやりましょう。

 ずっと以前、わたしが中学生だった頃、第二次世界大戦の悲惨な記憶を語る大人に、
わたしは問いかけました。
 「なぜ、その時、大人は全員で反対と言わなかったのか」と。
 13歳の子どもの素朴な、けれど精一杯の大人への疑問でした。
 同じことをわたしたち大人は、してきてしまいました。そして、これからもしていくことになるのでしょうか。
 ひとりの大人として、いまこそ、「大人の責任」を果たしましょう。
 子どもは選んでいないのです。にもかかわらず、苛酷事故の今後を、推進の今後を背負っていくのは、 子どもたちであり、これから生まれてくる子どもたち、何世代も先の子どもたちです。

 一体、「いのち」以外に何を守るというのでしょう。
 一体、「いのち」以外に、かけがえのないものなどあるのでしようか。
 2012年、ノーベル医学生理学賞を受賞した山中さんのニュースに触れながら、ひとりの女性を思い出しました。
 1945年ラテンアメリカ圏で初のノーベル文学賞を受賞した、詩人であり教育者であり外交官でもあった女性、 ガブリエラ・ミストラルです。
……それぞれの子どもの、骨格は、血肉は「いま」作られている。その子どもに、明日まで待てというのは、 いのちへの犯罪である……というような言葉を、ガブリエラ・ミストラルは遺しています。

 福島の、とりわけ子どもたちに、誰が、「待て」と言えるのか。
 いま作られている骨格に、血肉に、誰が「待て」と言えるのか。
 もう一度、福島から。何度でも、福島から。何千回でも、福島から。

 次の集会で、「あなた」に直接会えることを心より望みながら。

 2012年10月13日
                            落合恵子

フランスからのメッセージ

NPO脱原発パリ
Sortir du nucleaire Paris(脱原発パリ)から、「さようなら原発1000万人アクション」のみなさまへ(10月13日の集会に向けて)

 私たちは「脱原発パリ」は10月13日、在外邦人の脱原発ネットワーク「よそものネット」のフランス部と共催で、日本のみなさんの行動に呼応してパリのバスティーユ広場で集会を行います。この日はフランスの脱原発全国アクションの日ですが、わたしたちは日本のみなさんを支援すると共に、フランスにおいても脱原発とエネルギー革命に向かう政策の実施を要求するために、これから月に1回、集会を催していきます。
 58基の原発とラ・アーグの再処理工場をもつフランスでは、日本と同様の問題を抱えています。福島の事故と放射能汚染に苦しむ日本の人々の状況が、いつわたしたちに訪れるかもしれないのです。日本で脱原発を願う市民の運動が高揚したことは、わたしたちにとって大きな励みと助けになります。今後ますます市民どうしの連帯を強めて、一日もはやく、世界じゅうで原子力のない社会を実現するために、努力を結集しましょう。

2012年10月10日 
NPO脱原発パリ

よそものネット
さようなら原発集会のみなさまへ。

 脱原発を目指す海外在住邦人ネットワーク「よそものネット」は、大飯原発再稼働反対の請願書に連名を募る緊急活動から生まれました。「さようなら原発1000万人アクション」や金曜日の官邸前包囲デモなど、日本にいる皆さんの活動が拡大し、持続しているなかで、遠くにいる私たちも安全圏からの傍観者ではいられなくなったのです。これまでばらばらに活動してきた在外邦人が協力しあえば、もっともっ と大きな声になると考え、賛同する人たちが情報を共有し、ゆくゆくは同時行動を組織できるように、このネットワークを作りました。
「よそものネット」の発起人が住むフランスは、安全圏どころか、欧州委員会が58基全原子炉の老朽化に警鐘をならしている危険地帯です。ネット参加者にはドイツ、スイスなど脱原発に踏み切った国に住む人もいますが、放射能汚染に国境はありません。未だ収束していない福島第一原発事故は地球全体を汚し、すべての生命を脅かしているのですから、国境を越えたつながりを広げて、一丸となってこれに立ち向かわなくてはなりません。
 私たちは今後、日本の皆さんの運動と連携し、それぞれが住む国、地域において、日本の現状を知ってもらい、 エネルギーの原子力依存や放射能汚染、廃棄物処理の問題に対する認識を深めてもらうような活動をしていきたいと思います。
「よそものネット」のフランス部では毎月1回、「福島を想い、脱原発のために集まろう」と呼びかける予定で、フランスの脱原発全国アクションの日である今日この日に、NPO脱原発パリと一緒に第一回アクションを開催する運びとなりました。
日本の皆さんの声が大きくなればなるほど、私たちの声も大きくなるでしょう。皆さん、一緒にがんばりましょう!

オープニングコンサートのYaeさん


司会進行を務めた上泰歩さん


落合恵子さんのメッセージを朗読する鴻巣美知子さん

鎌田 慧さん(呼びかけ人・ルポライター)

この悪魔のような原発社会から脱却して行こう

 実は私はいま札幌からかけつけてまいりました。札幌で集会がありまして、現在、札幌市内の大通公園で1万人集会が開かれています。そういうかたちで運動はどんどん広がっています。福島原発のあの大爆発事故から1年7ヵ月経ちます。しかし、全く収束しそうにない。早く原発社会から脱却する。原発は廃炉にしていく。そういう運動がじわじわ拡大していると思います。
 ご存じのように、JA中央が脱原発を決定しました。これは日本の歴史にとって、重大な決意であります。どうしてかと言いますと、原発は農業とは全く対立するということを農協の人たちが明確に発言したことです。原発は自然とはまったく相容れない。農業と漁業。漁業こそ今は深刻な状態になっています。
 今日これから発言される、大間原発に反対する小笠原厚子さんのお母さんは、熊谷あさ子さんという方なのですが、「あさこはうす」でよく知られています。この方は、津軽海峡で夫と一緒にまぐろなどの魚をとって暮らしていました。そして、彼女は一人、最後まで大間原発の建設に反対していました。電源開発(株)の社長が二代にわたって、熊谷さんの畑に訪ねていって、なんとか1基だけつくらせてくださいと、頼みましたが、彼女は絶対にOKとは言わなかった。そして、どうなったかというと、予定地が変更されました。つまり、あさ子さんの土地を買収できないから、設計を変更するという、大間原発は非常に変則的な、すでに負けている原発です。その熊谷あさ子さんが生前、何とおっしゃったか。「人間は海と畑があれば生きていける。だから私は海も売らないし畑も売らない」。そう言って、一人で抵抗していましたが、残念ながら病気で亡くなられました。
 海と畑がなければ、人間は生きていけない。そういう意味で農業、漁業、いろんな人たちがこれからますます脱原発の決意を固めて、行動していくと思います。あるいは、国会議員も反対にどんどん変わっていくでしょう。
私たちはいま、脱原発基本法というものをつくって、国会で審議するように働きかけています。つまり、国会議員も変わらなくてはいけない。財界も経営者も変わらなくてはいけない。とにかく、この悪魔のような原発社会から脱却していく。その気運がますます高まっているということをしっかり確認したいと思います。
 署名運動は皆さんの協力を得まして現在810万筆集めています。あと200万です。この署名は1000万人託されている、1000万人以上の願いがこもっています。いろんなかたちで、日本で脱原発の機運が動いている。それをもっと高めていく。これがこの反対運動に参加した私たちの思いであるし、責任であると思います。絶対、原発は潰す。そして、被曝労働者をこれ以上つくらない。そして、将来に禍根を残さない。使用済み燃料を増やさない。再稼働は認めない。そういう決意を新たにして今日1日、元気な集会でいきましょう。

高橋 哲哉さん(哲学者・東京大学大学院教授)

生きていく限りは、希望がある

 昨年の3月11日の原発事故から、すでに1年半あまりが経ちました。この間、野田政権、日本政府は大飯原発の再稼働を強行しました。また、政府自身が実施したさまざまな調査で、2030年原発ゼロオプション、これが国民の多数によって支持されたにもかかわらず、この点をあいまいにして、原発維持に向かって、またぞろ進もうとしています。この私たちの国の政府が、このような状態であるということを私は情けなさと、悲しみと、また怒りを禁じることができません。私たちは、現在の野田政権、日本政府がいかに民意を無視しているか。これを今回沖縄に強行配備されたオスプレイの問題でも、痛感させられたわけです。沖縄の人々が一丸となって、あれだけ反対しているにもかかわらず、平然と、冷然と、オスプレイの配備を強行した。いったいこの政府は、どこを見て行政を、政治を行っているのかと思わざるを得ません。
 私は、福島の原発事故の後、あらためて三つのことを痛感させられてきました。一つは、国は国民を欺くものであるということです。ご承知のように、事故前は日本の原発は絶対に過酷事故を起こさないという安全神話がありました。事故の後は、放射線被曝は恐れるに足らない、問題がないという、こういう安全神話がつくられて、福島の人々を不安に陥れているわけであります。二番目には、国は国民を見捨てるものであるということ。原発事故の被災地の人々、特に福島県の浜通り地方の人々は、現在も10万人以上の人々が現在も県内外に避難を余儀なくされている。福島県全体でも、16万人と言われる人々が1年半も経ったのに、まだ自宅に戻れない。
中通り地方、ここは年間100ミリシーベルトに達しない、低線量の地域と言われているのですが、今でも比較的、線量の高いところがたくさんあると言われているにもかかわらず、安全であると言われ続けて人々は放射線被曝の恐怖におののきながら、生活を続けなければならない、そういう状態にあるわけです。
 三番目には、国は国民以外の住民を無視する、あるいは排除するということであります。原発事故、昨年の大震災。この震災の中で東北地方在住の外国人、外国籍の人々の安全、これがどれだけ考慮されたでしょうか。あらためて、疑問に思わざるを得ません。
これらのことを私たちはかつて一度、痛感したことがあったはずです。第二次世界大戦の敗戦直後には、多くの人々がそのように気付いたはずでした。しかし戦後、私たちはより快適な生活、より便利な生活、より豊かな生活を求めて、その中でそういう性質を持つこの国が、そのことを忘れてきたように思います。しかし、今度こそ私たちはこの国の政府が人の命や尊厳よりも、経済を優先するようなそういう政府ではなくて、まずは人の命と尊厳を最優先に考える、そういう政府になってもらう。そういう国にこの国を変えていく。そういうチャンスがきたのだと。今度こそ、国を変えていかなければいけないと、こういうふうに思うわけです。
 もう一点、私は福島県で生まれ育った人間ですが、非常に悔しい思いをしてきたことがあります。それは国だけではなくて、福島県の行政、政治も県民を欺いているのではないか、身捨てているのではないか。そういうふうに思わざるを得ないこの1年半だったということです。福島県の職員の人たち、県知事も含めてみんな福島県民ですね。私も故郷の人々ですから、これを批判するのはやや躊躇するところもないわけではありませんが。しかし、人々の命と健康、とりわけ子どもたちの命と健康がかかわっていると思うのです。そこでこの点を皆さんにも注意していただいて、福島県のあり方を変えるように声をあげていただきたいというふうに思うのです。
 例えば、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報。国が公表しなかったというのは知られていますが、県もまたこれを握りつぶして、自治体におろすことをしなかったわけです。あるいは、安定ヨウ素剤の配布。これに県は一貫して否定的でした。それに抗して、三春町だけが安定ヨウ素剤を配布して、町民に飲んでもらったということがあります。しかし、私がいまいちばん懸念していることは、子どもたちの甲状腺検査の結果です。今日は皆さんにそのことをぜひ知っていただいて、助けていただきたいと思います。
 具体的に申し上げますと、福島県は昨年から、0歳から18歳までの子どもたちは35万人いるそうですが、甲状腺の検査を始めました。今年に入って、3回検査の結果を公表しています。1回目は38,000人の子どもたち、30%の子どもたちに結節およびのう胞が見つかったということでした。2回目は結節およびのう胞が35%。3回目は今年の9月11日に行われたのですが、主に福島市の子どもたちを対象にした調査で、43%の子どもたちに結節、のう胞が見つかったというわけです。これはどういう数字でしょうか。県が公表しているのですが、県のこの調査の受任者、山下俊一という人です。皆さん、ご存じでしょうか。3.11の直後、長崎から福島へ移って、県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任し、その後、県立医科大学の副学長になって、今後の健康調査を一手に引き受ける、そういう立場にある人です。事故直後に「ミスター100ミリシーベルト」と言われました。100ミリシーベルトまでは心配ないと。あるいは被曝の影響はくよくよしているところに来るのであって、にこにこしている人のところには来ないという、有名な妄言を重ねた。そして、福島県の人々の信頼を失った人ですけれど、この人がこれらの甲状腺検査の数字について、良性だから問題がないと言っているわけです。
 しかしながら、同じ山下氏が自ら長崎で、あるいはチェルノブイリのゴメリ地区というところで調査をしたデータがありまして、これらはいずれものう胞の保有率1%に満たないという、そういうデータが出ているのですね。米国でも、子どもの平均のう胞保有率は、0.5%から1%であると、こういうデータが存在します。これらのデータ、すべて1%以下という数字なのですが、福島はすでに10万人の検査を終えていまして、30%、35%、43%。この数字、皆さん不安になりませんでしょうか。これを良性だと言っているのですね。これだけではなく山下氏は甲状腺学会の理事長もして、全国の学会員、つまり甲状腺の専門家に対して、県の検査結果に不安を抱いた子どもや保護者が来ても、セカンドオピニオンを与えないようにという、そういう要請もしています。学会ぐるみで何をやろうとしているのかと思わざるを得ませんね。
 さらに今月に入って、報道で明らかになったことですが、福島県はこの検査結果の検討委員会の前に委員を集めて秘密会議をしている。そしてそこで、この結果に問題はないという口裏合わせをしていたということが発覚したわけです。委員の一人は、秘密会をやっていたことは口止めをしていたということですから、これもまた何をやっているのかと思わざるを得ないわけです。福島県では子どもたちの甲状腺に明らかに異常があるとしか思えない数字が出ているわけです。不安に思っている保護者や子どもたちは、昨年、郡山市で小中学生14名が安全な場所で教育を受ける権利があるということで、郡山市の行政に対して、集団疎開を求めるそういう訴訟を起こしました。現在、仙台高裁で審議中です。いま福島の子どもたちが置かれている状況は、とても不安で危険な状態であると言わざるを得ません。子どもたちに一刻も早く安全な場所に避難してもらえるように、子どもたち、福島県民に避難の権利を与えてもらえるように、皆さんぜひ声をあげていただきたいと思います。
 私はこの国の政府を、この国を人の命と尊厳を第一に、最優先する国に変えていただきたいと申しました。しかし、現状はきわめて厳しいものがあります。私はこの日本列島、地震列島上に54もの原発、さらに高速増殖炉、核燃料サイクル施設、こういったものをつくってしまった、そして、膨大な量の使用済み核燃料、低レベル、高レベルの放射性廃棄物、プルトニウム、こういうものを抱え込んでしまった。この社会は率直に言ってもう、闇の中にあるのではないかと言わざるを得ません。福島県民だけではありません。この社会が闇の中に入ってしまったというふうに感じています。私たちの世代でつくり出してしまった、抱え込んでしまったこうしたものを、将来世代に私たちは引き継いでいかなければならない、そういう罪を負ってしまったとさえ言えるかもしれません。この闇の中で私たちは何とか光を引き継いでいきたい。闇の中で光を求めていきたいというふうに思います。少しでも大きな光を次の世界の人たちに引き継いでいく、その第一歩が脱原発、原発の廃止だと思います。いちばん大事なことはあきらめないこと。(ノーベル医学・生理学賞を受賞した)山中伸弥教授も何度挫折し、失敗してもあきらめないことが大事だとおっしゃっているようです。生きていく限りは、私は希望があると思います。あきらめないで、皆さんがんばりましょう。

森園かずえさん(子ども福島ネットワーク)

人間の手に負えない原発はつくっても、再稼働してもいけない

 皆さん、こんにちは。福島県からまいりました。初めに、今年の夏休み、全国の皆さんのご支援により、福島県の子どもたちが保養に行くことができました。本当に感謝いたします。ありがとうございました。忘れてはいけないということを3つお話させていただきます。1つは福島原発告訴団について。今日ここにご参加の皆さんに、ぜひとも告訴人になっていただきたいと思います。告訴は今月いっぱい受け付けていますので、よろしくお願いしたいと思います。11月15日、福島地方検察庁に提出いたします。
 2つめは福島集団疎開裁判についてです。先ほども高橋さんのほうからお話がありましたが、現在、仙台高裁で審議中です。第1回は10月1日に行われました。第2回は11月26日です。疎開裁判の詳細については600円のブックレットにて、ご説明していますので、ぜひお買い求めいただいて、お勉強していただいて、皆様に広めていただけたら、ありがたく思います。こちらもよろしくお願い致します。
3つめは原発事故子ども・被災者支援法、正式名称は、「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」。今年の6月21日、超党派の議員の皆様の力により、国会で成立いたしました。この法律についての話し合いが、今日も郡山市で行われる予定となっています。私も今日、こちらの集会とデモ終了後、すぐにとんぼ返りする予定でおります。この3点をお伝えするという私の大役は、まず果たせたと思います。
 続いて、私のほうからいつもものようにお話をさせていただきたいのですが、話がとんでしまうと、わからなくなってしまうので、書いてきたものを読ませていただきます。
 今年の夏、私が住んでいる地域では、蚊や蛾や黄金虫がほとんどいませんでした。ゲリラ豪雨も昨年より少なく、コンビニエンスストアの青白い光に飛び込む、網いっぱいの虫たちの姿もまったく見かけませんでした。今年、お米の収穫期を迎えた田んぼから、毎年聞こえてくるスズメよけの空砲の音を一度も聞きませんでした。毎年、夏の終わりに群れる赤とんぼが今年は、わが家の庭に一匹しか飛んできませんでした。こおろぎやスズムシ、スイチョンやバッタも、弱々しい鳴き声です。福島の子どもたちはこの夏も昆虫に触ることができませんでした。去年のほうがまだまだ元気でしたが、今年はなぜかみんな弱々しいです。この先、昆虫たちの姿を見ることができるのでしょうか。
 子どもたちにすでに出ている健康被害。無色透明、無味無臭の放射性物質。今日も容赦なく私たちに降り注ぐ放射線。ホットスポットが郡山市、福島市、福島県の中にはたくさんあります。そんな中で、先日も郡山市では、シティマラソンが開かれました。昨年夏から、マラソン大会、駅伝大会、屋台や出店。そして先日、霧雨降る中で、神輿を子どもたちが引いていました。放射能の雨です。その霧雨の中で、子どもたちが楽しそうに太鼓をたたきながら、神輿を引いているのです。誰がやらせているのでしょう。でも子どもたちは雨に濡れながらも楽しそうでした。企業、商工会議所、教育界、医学界までもが行政と結託して、昨年早々から安全安心キャンペーンを繰り広げてまいりました。それを垂れ流し続けた読売、朝日、大手メディア。原子力事業は国策であると言い放ち、原子力ムラの言うままに放送を続けたNHKの大罪。どう責任を取るのでしょう。
 でも、私たち大人の責任でもあります。私の責任でもあります。無知で無関心で、数十年生きてきました。もっともっとどこまでも貪欲で強欲で。そんな人間たち。地球は私たち人間だけのものではありません。
 12月15日からIAEA(国際原子力機関)が郡山市で会議を開くそうです。原子力産業を海外に輸出し続ける東芝、日立、三菱の皆さん。皆さんにお聞きしたい。私たちの命や健康をどのように考えているのか。このとき、この瞬間もフクイチ(福島第一原発)では原発事故の収束作業を続けられている作業員の方たちが約3,000名以上いらっしゃいます。今年の夏は本当にうだるような暑さで、ご無事でいるかと、みんな祈っていました。6割が福島県民です。被害者が加害者に雇われているのです。これが現実です。みんな家族を守るため、命を守るため、生活を続けるため、日本を守るため、高線量の中で命がけの作業です。いつ、また地震が来るかもわからない。
 私は、こうして東京へ出てくるたびに、連れ合いにメールをします。大丈夫ですか、地震は来てないか、必ず確認を取ります。何もなかったように生活をしている福島県民を、地震や余震があるとフクイチは大丈夫かと、連絡を取り合います。どんなに安全安心キャンペーンを張られても、地震があると一瞬で3.11のときに戻ります。原発事故後、窓という窓を閉めて目張りをして、揺れるカーテンを見て過ごした恐怖がよみがえります。今度こそ風向きを確認して逃げようと。今度こそ地震は起きませんか。誰か断言できますか。フクイチは収束していません。ここ東京が何も変わらず安全に生活できているのは、フクイチで収束作業に当たってくれている被曝労働者の方々がいるからです。そのことを絶対に忘れないでいただきたいと思います。
 人間の手に負えない原発はもうつくっても、再稼働してもいけないのです。最後に日本中の女性の皆さん、世界中の女性の皆さんにつながってNO NUKES、原発はいらないよと声をあげていただきたいと思います。そして、サポートしてくれる男性の皆さんも一緒になって絶対に再稼働された原発、これも止めて廃炉作業も被曝が少ない綿密な計画の下で行われるように行動していく。皆さんと一緒に進んでいきたいと思います。今日はお話を聞いていただいて、本当にありがとうございました。

小笠原厚子さん(大間原発「あさこはうす」)

もう二度と福島のような事故を起こさせないで

 大間のあさこはうすからまいりました、小笠原厚子です。よろしくお願いします。私の母、熊谷あさ子は電源開発(株)の工事を14回も止めて建設させませんでした。そして、50mしかない原子炉を200m移動させ、工事計画を白紙に戻し、再計画させ、そのおかげで稼働をする年が平成22年から24年に延びたのです。福島原発事故は23年に起きました。もし、22年にうちの母が凶行ないじめや嫌がらせ、村八分にあいながらも、もし耐え切れなかったら、22年より前に電源開発(株)に土地を売っていたら、いまごろ大間原発は稼働していました。たぶん今も稼働していたことでしょう。事故があり、工事も止まり1年6ヵ月。なんと10月1日、電源開発(株)は社長が大間町役場へやって来て、説明をして、その後、午後から工事着工をする。「はぁ?」と思いました。
 政府は再稼働、原発はゼロにする、そして新規、増設は認めないと言いました。それなのに大間原発は容認する。そして、工事再開は会社と地元の判断にまかせる。そして会社は政府がどういうかたちで言ってくるかを待って、その結果によって工事の再開を判断する。政府も会社もおたがいに譲り合って、自分の責任を逃れたのです。原発は地元だけのことではなく、会社だけのことではなく。それはもちろん会社は利益を得て、地元は交付金や固定資産税などのいろんな恩恵は受けます。だけど、もし事故が起きたら、地元と会社だけの問題ではないのです。国民全員が被害者になるのです。原発は本当に日本に必要ありません。ましてや日本は小さな、小さな島国で、周りは海に囲まれ、そして必ず地震、津波、台風が起こります。自然災害です。そして火山の噴火。自然と共生している国なのですね。そういう国が自然に耐えきれない原発を稼働していいのでしょうか。
 私たちは危険と背中合わせで生活しているのです。もうこれ以上原発は必要ありません。そして新規の原発、1基たりとも増やしてはなりません。すでに54基もある。それなのに何でもっと利益を増やそうとするのですか。原発ゼロと言ったではないですか。政府はうそつきです。
 これからの日本を担うのは子どもたちなのです。その子どもたちが安心して生活できる国にしなくてはならないのは政府なのです。私たち国民は政府に命を委ねているのです。政府の判断でどうにでもなってしまいます。政府が国民のことをいちばんに考えてくれなくてどうするのですか。よろしくお願いします。子どもたちを守ってください、そして私たちを守ってください。もう二度と福島のような事故を起こさせないでください。

大江健三郎さん(作家・呼びかけ人)

私たちが集まって歩くところに希望が生じる

 たった今、出られた方の希望を拝聴しまして感銘を受けています。またずっと福島について、原発について一から勉強をしてまいりましたが、その大切な点を、明確にお話になられていると思いました。時間をいただきましたので、私は文学の側にいる人間としての話をしたいと思います。
 私はこの大きい集会に読んでいただきますたびに、自分が3.11の後、自分が大切にしている本を読み直しました。自分はもう77歳なのですが、その間、どういう本が、自分にとって大切だったかということを、ノートに書くことをしております。そして、その中から、自分にとって励ましになる言葉を、ここに集まって下さる方に文学の人間としてお渡しするということにしています。私が書いた本に、そんな励ましのことは書いてない。私が励まされた、いつの間にか読んできた本の中で、一番重要なものをお話しするという風にしてきました。
 私は最初に、先生になろうと思って大学に行って、今までずっと、その先生の影響のもとに生きてきました。渡辺一夫という先生ですが、その先生は、どのような科学者にしても、どのように多角的な考えを持っていても、人間の死というものを考えなくなると、狂気というものに陥ってしまうと言いました。「核兵器」がそうであるということを、戦後すぐにお書きになりました。
 また、中野重治という素晴らしい小説家がいまして、彼が書いた作品で、若いお母さんが、子どもと一緒に監獄に入れられまして、そこで子どもが病気になって死んでしまった。それが社会だけれど、「私たちは、侮辱の中で生きています」という手紙を、まだ獄中にいるご主人に話すという場面を読みました。(それは現在で言えば)日本の政治と、それから産業界、経団連というような人たちです。それから東電などもそうです。そういう人たちが、根本的に日本人というものを侮辱していると考えています。
 中国の魯迅という、20世紀のアジアの最大の文学者と言っていいと思いますが。その魯迅の言葉を引用したいと思っています。自分たちが希望を持つことが、難しくなっている時代に、自分と言うものを、魯迅と言う人はどのように考えたか、ということをお話したいと思ったのです。そして、私の本の赤線を引いてあるものを読みますと、重要な文章として魯迅が描いている言葉が他にもありますが、二つあります。
 1932年、私が生まれる年なのですが、そのとき非常に苦しい時代を魯迅は生きていました。そのとき、50代半ばの魯迅が書いた文章です。「世界が私とともに滅ぶことはあり得ない。だから、希望は将来にある」と彼は言っているのです。
 先ほどもありましたように、将来の子どもたちのために、はっきり生きていける社会をつくっておくということが私たちの義務であって、仕事であります。それを現在の日本人が、日本の社会が、それから産業界が、特にアメリカという国家が日本の原子力の状況について、非常に大きい圧力を日本に加えている。そういうことがあって、それに政府が抵抗していない。そこにこういう状況が表れていると、私たちは考えなくちゃいけないと思うのです。私たちが魯迅さんに言うならば、「魯迅さん、世界が私とともに滅びることがある。30年、40年の間にそうなる可能性がある」。
 もうひとつ、魯迅の言葉で、希望について語った美しい言葉があります。これは、みなさんがきっとご存じのはずの言葉です。この言葉は中国語で三行になっておりまして、日本では後半の方がよく知られていると思います。「地上に、地の上に道がある。地上に道がある」。そして、「しかし、本来地上に道はなく、歩く人が増えれば、そこが道になるのである」という言葉をお聞きになったことがあるでしょう。あれは魯迅の言葉です。そして、その一行前の言葉を振り返ってみますと、ここからが良いです。「希望は、もともとあるものとも、ないものとも言えない。それはまさに地上の道のようなものだ」。本来地上に道はなく、歩く人が増えれば、そこが道になるのであるから、というのが魯迅の考え方なのです。それは今の時代、僕たちに魯迅から送られてきた通信のような言葉ではないですか。
 例えば、これから皆さんがデモを始めます。もしわれわれがデモをしているとすれば、それはもともと地上に道はなく、歩く人が増えればそこが道になるであろうということなのですよ。私たちがこれから、大きい行進をすると、道が出来るのですよ。私たちが集まって歩くところに希望が生じるということを魯迅は言っているのです。
 魯迅の時代から70年以上経ちました。そして私たちは今、原発をなくすと、最初政府もそれを要求したし、原発をなくすという決心を表現し続けている。それに対して、内閣の決議すらしない。そして今、新しく皆さんの決定した政治も、政府を受け継ぐかもしれない政党も、憲法を改正すると言っています。それは私たちに対する、私たちの世論に対する根本的な侮辱でありますし、先ほどのお話にあった、雨の中でお神輿を担がざるを得ない子どもたちに対する侮辱です。私たちは、それに対抗しなければならない。それに対抗するためにはどうするか。彼らは私たちにいかなる希望も示さない。そこで、このように人々が集まって、そこになかった道をつくっていこうとすることが、私たちの希望をつくることです。

吉原 毅さん(城南信用金庫理事長)

安心できる幸せな社会をつくるために、協力していこう

 今日は「さようなら原発集会」にお招きを賜りまして、誠にありがとうございます。閉会のあいさつというよりは、そんなに難しいことはいえませんので、日常で、地元で皆様と一緒に仕事をさせていただいている者として、今日は原発問題に対してどのように考えてきたかということにつきまして、ちょっとお話させていただければと思います。
私ども信用金庫というのは、地元の事業者の皆様、個人の皆様と一緒に、皆さんの幸せのために仕事をしようということで、取り組んでいる金融機関です。その中で去年、3.11が起きて、福島は大変なことになってしまいました。本当に福島は、まだまだ大変な状況であると思います。私も第一原子力発電所のそばまで、地元の信用金庫さんに連れられて見学に行って参りました。白い防護服を着て、線量計を持っていきますと、本当に大変な状況にある。そのときにうかがったのは、風向きがちょっと間違えれば、東京も同じだということでした。もう本当に他人事とは思えない。東日本全体が大変な危機に陥っている。
 去年のことを思い起こしますと、本当にこの東京で仕事をしていて、また、生きていて大丈夫なのかなという危機感がありました。今でも、それは皆さん共有していることでありますし、いつまた福島にある4号炉のプールが壊れれば、関東全域が大変な危機に陥るかという危機的な状況があるわけです。それが一方で、もうすでに収束はした、あるいは原発を残さなければいけないという、マスコミその他の考え方がまだまだ出ています。
 それに対して、特に先般、経団連、同友会、商工会議所が相次いで、原発ゼロは現実的な考え方ではないというメッセージを出していました。私も商工会議所のメンバーなのですが、一度も相談されたことはありません(笑)。おかしいですね。同時に、三つの方々の代表がお話をされている、ご存じ商工会議所のトップの方は、元経団連で東芝の役員さんでした。中小企業は大変喜んでいます。原発を稼働してくれてありがとうございましたと言っておりましたが、中小企業の代表の方ではないだろうというふうに思ったりしておりました。何が言いたいかと申しますと、私にも、お客様で町工場やいろんな事業をされている方がいっぱいおられますけれど、原発があっていいなんて思っている方はごくわずかだと思います。ただ、電気が足りなくなったら困るなとは思っているでしょうが、原発なんてこりごりだと思っている経済界の方々だって、いっぱいいるはずです。そういったことが、国民の多くの声なのだということ。これは「経済界」という名前でひとくくりにされていますけれども、「そんなことはないはずだ」というふうに、考えていただきたいと思って今日はまいりました。
 だって何のために会社とか経済ってあるのかと言いましたら、もともとは人々の幸せな暮らしのために企業活動とか、会社ってあるのですよね。お金儲けは、企業を継続するための手段なのですね。目的は社会をよくするため。これは私が言ったのではありません。多くの会社に財界で勤められている尊敬すべき経営者の方々こうおっしゃっています。ところが、例えば、三井住友銀行でも、西川善文さん(元頭取)がもう原発に頼るわけにはいかないと、ブログではっきりと声明を出されました。城南信用金庫も脱原発を掲げているけれども、当然だろうというようなお話をされていたのですが、やはりその出身母体である三井住友銀行さんは、残念ながら多額の資金を持っていらっしゃる、株式もあるということで、なかなか方針転換が出来ない、その勇気がない。やっぱり問題はお金です。
 お金は大変な問題だと思います。私はいわゆる右と言われる方々から、左と言われる方々まで、大勢の方々と仲良くさせていただきましたところ、実にすばらしい人たちばかりです。なぜかというと、この日本の国の将来、そして、子どもたちの未来ということ、それに対して、本当に心配してらっしゃる方々、常識ある、良識ある方々ばかりなのですね。もちろん細かい点ではいろんな主張が違うと思います。でもみんな、この国や社会、そして子どもたちのことを考えているという方々はみんな一緒。ですからこれは、政治問題でも何でもないのです。ところが、それではなかなかわかっていただけない方がいる。じゃぁ、政治問題じゃないとしたら、何が問題なのか。それは目先のお金。
 とにかくもう原発いっぱい造っちゃったからこれがゼロになったら大変なことになる。この施設が全部ゼロになったら、とりあえず今の会社の業績は赤字になる。そしたら、株が下がっちゃう。そうしますと自分の責任になる。会社の方も、給料を下げなくちゃいけない。でもそんなことよりももっと大切なことってあるはずですよね。そういうことを考えて、長期のことを考えていくことが、本当の企業活動だと思います。
企業で働いている多くのサラリーマンの方々、そして経営者の方々の多くもそれはわかっていると思うのです。ですから、もう一歩勇気を持とう、そして、このような原発をまだまだ使い続けようという考え方が、いかに危険であるかということを、もう一回、根源に立ち返って考えたことによって、みんな国民的合意を、この原発はもうダメなのだと、当たり前じゃないかということを合意しなければいけません。
IMF(国際通貨基金)世銀総会が、東京国際フォーラムで開催されています。いま私もそこで話をしてきたのですが、そこでわかったのは、いちばん経済界が、仕事をしていらっしゃる方々が心配しているのが、まず一つは電気が足りなくなるのではないかということ、これを心配されています。でも、電気は十分にあるのですよね。この事実をまず明確にしなければいけません。
 先般の関西電力の原発稼働のときに、関西電力は火力発電所を止めました。つまり、電気は足りているのです。しかも多くの企業は、電力会社はこの一年間で、原発6個分の電気設備を導入したという経済統計があります。ということは、国全体の、埋蔵電力、非常用電力というのはいっぱいあるのです。しかも今、節電でみなさんが、われわれも取り組んでいます。
東京電力が一応まじめに、この一年間、ガス発電所をGE(ゼネラル・エレクトリック)や、あるいは川崎重工からそういったところから導入して動いています。だから東京・関東は足りているのです。関西電力はやらなかった。私が思ったのは、宿題をやらなかった、夏休みの宿題をやらなかった子どもたちと同じじゃないですかって言いました。やるべきことをやらなかったら、足りないのは当たり前ですよね。
 もうひとつの懸念は何かというと、原発やると電気料金上がっちゃうというふうに経済界の方が心配しています。でも、これもよくよく考えてみると、会計的に間違っているのです。例えば今、使用済み核燃料問題ってあります。これはどこにも処理できない。だから、アメリカではすでに原子力規制委員会が新規の原発を認可しないという決定を出していました。そして、原発の期限が来ても延長を認めないと言っています。つまり、それはなぜかというと、福島の問題で使用済み核燃料というのはとんでもない問題だということがよくわかった。核原発敷地内のプールの中に置いてあるから、とても危険だ。もう一杯だ。日本でもそうです。そして、六ヶ所村ももういっぱい。そうなると、もう処理できない。処理できないものを、経済的に言うと、無限大のコストがかかるといいます。無限大のコストを、例えば30年間かけて、無限大のコストを処理すると、無限大÷30=無限大です。それを法務計算書に入れたら、まともな計算をすれば、すでに原発は大赤字なのです。そうすると、大幅に電気料金を上げなければいけないのですよ。いま上げていないのは、将来発生するコストをカウントしていない。だから将来の子どもたちに付けを残しているだけなのです。これは正しい会計とは思えません。
 企業でお勤めされていらっしゃる方は、会計という言葉でコミュニケーションをとります。会計制度という言葉で、よく根源的に考えてみれば、人間の幸せのために作られたものであり、正しい会計をすれば、原発はすでに大赤字。電気料金は、今原発に頼る以上は、大幅に上がらなくちゃいけない。そういったことを、私は訴えていこうと思います。みんなが安心できる幸せな社会をつくるために、協力していこうということを、これからみんなで話し合っていくことが、この原発を停めていくことの大きな道ではないかと考えております。わずかな力かもしれませんが、どうかこれからも取り込んでいきますので、お力を貸していただければと思います。どうもありがとうございました。

写真:今井 明
編集:事務局

                     

1件のコメント

  1. 読ませていただきました。とりわけ高橋哲哉さんや森園さんらのメッセ-ジに強く打たれました。私は3.11当時スイスにいてその後原発の事故の様子をPCを通じて知りました。世界の終末とも思える映像はスイスやドイツの原子力政策の方向性を脱原発へと導くに足る衝撃でした。私がここヨ-ロッパで気づくことは日本がいかに人権意識が低い国であるかということです、経済の発展とともに私は日本も先進国並みの意識をもつ国であると思い込んでいましたが、福島事故後の政府の被災者救援事業やいまだに何万という子供が高線量といいうる地域に居住しているという事実を知るにつれ、信じられないような実に情けない気持ちになります。日本の官僚や東電社員は少なくとも高学歴で知的な思考作業においては上位に位置するはずが良心や同情、他者の痛みを共有するという高次の精神的な発達に決定的な欠落があるのだと思わざるをえません。そのような人たちが嘘の情報を国家として流し、責任を回避し、苦しみを他者に負わせたままでいます。それを政府、官僚組織、有力メデイア、経済界が洗脳とも思えるやりかたで行い続けているということに、この国の醜悪さがあります。日本が海に流し続けている汚染水のことを、焼却するごみから発生する汚染された空気のことを欧州でも懸念しています。ことはすでに地球規模での罪へと発展しています。 ただ私は高橋哲哉さんと同じく希望を持つものです。脱原発を世界的な潮流にすることに日本人はもっとも影響力を持っているのです。アメリカの圧力さえそれは払いのけるでしょう。政府が愚かなことをやればそれだけこの跳ね返す力が強まることに確信ともいえる希望を見出しています。日本が民意を反映した本来の意味での民主主義国家になるために払わなくてはならない犠牲だったのかと震災と原発事故を顧みるものです。スイスにて。

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