【発言録】さようなら原発10万人集会

 第1ステージでの発言録をまとめました。(編集:事務局)

司会:神田香織さん(講談師)
 暑い中を北海道から沖縄まで、大勢の皆様、ようこそお越しくださいました。ただいまより、「さようなら原発10万人集会」を開催いたします。今日は大成功をおさめて、原発の息の根を止めようではありませんか、皆さん!!

原発は嫌だの声でエネ環をパンクさせてやろう
呼びかけ人:鎌田慧さん(ルポライター)

 全国からお集まりの皆さん、今日の成功は皆さんのおかげです。大成功です。原発を一刻も早く止める、というふうにしたいと思います。私たちは、全国のあらゆる人たちと力をふりしぼって、780万筆もの署名を集めました。それを6月15日、首相官邸に持っていきまして、藤村(修)官房長官に提出しました。しかし、その次の日に(政府は)大飯原発の再稼働を決めました。こんな政府がありますか。こんな主権者の声を、民意を、汗と涙にまみれて集めた署名を、踏みつぶして平然としている。このような内閣に私たちはNoを突き付けたい。
 これから福島がどうなるか全くわからない。対策もない。これから使用済み燃料がどうなるかもわからない。停止していても、地震があったら爆発するかもわからない。そのような危険な状態にありながら、まだ原発にこだわっている。このような国民の生命と財産を無視するような政府に対しては、徹底的に弾劾していきたいと思います。
 今日はこれから、3コースに分かれて行進します。原発は嫌だという声を世界中に広げていきたいと思います。政府は2030年(原発)15%で逃げ切ろうとしています。絶対許せない。ただちに0%です。皆さん、政府はパブリックコメントをやると言っています。原発は嫌だ、という声でエネルギー環境会議をパンクさせてやりましょう。

福島の後に沈黙しているのは野蛮だ
呼びかけ人:坂本龍一さん(音楽家)

 思い起こせば42年前に、私はまだ18歳で代々木公園、ここにいました。そのときは日米安保改定反対ということでここにいましたけれど。そのときは、学生や労働者の集まりでしたが、今日は毎週金曜日の首相官邸デモと同じように、多くの普通の市民の方がいらしています。僕も日本人、一市民として来ました。本当に40年以上ぶりにここにいるということは、私も感無量です。原発に対する恐怖や、日本の原発政策に対する政府の怒りというものが、日本国民に充満しているのだと思います。首相官邸前の毎週の抗議もすばらしいこととは思いますが、残念ながらそれだけでは原発は止まらない。再稼働されてしまった。もちろん、声をあげていくことは大事ですが、それだけでは政府の耳には届かないらしい。そういうわけで、こういう大きな集会を催したり、パブリックコメントをじゃんじゃん書いたり、あるいは地方に、脱原発の首長を増やすなど。地方にも見識のある方はたくさんいらっしゃいますので。
それから、長期的にはなりますが、われわれに出来ることは電力会社への依存を少しずつ減らすということ。こういう声が、プレッシャーとなって彼らにも届きます。言ってみれば、たかが電気です。たかが電気のために、何で命を危険にさらさなければいけないのでしょうか。僕はいつ頃になるかわかりませんが、2050年くらいには電気などというものは、各家庭や事業所や工場などで自家発電するのが当たり前。そうなってほしいと思っています。子どもの未来を危険にさらすようなことはするべきではないと思っています。
「福島の後に沈黙しているのは野蛮だ」。これが私の信条です。

福島の悲劇に学ばない政治家を国会に送るな
呼びかけ人:内橋克人さん(経済評論家)

 この広い代々木公園を埋め尽くし、会場の外にまであふれ出る膨大な数の参加者の方々。皆さま方の今日の勇気ある「さようなら原発」の声が、ゆがんだ私たちの国と、社会のあり方を正す、最も大きな、そして確かな力になっていくでしょう。
 もう原発はやめてという、必死の叫びをあざ笑うかのように、平然と大飯原発が再稼働されました。3号機に続けて、4号機が再稼働され、今月下旬にも2基の原発が再稼働する予定となっています。今や、再稼働候補の原発は全国に続々とあります。新しい安全基準もないままに、再稼働が強行されます。
まさに再稼働計画は、目白押しの状態です。私たちの声、福島の悲惨な現実は、どこへかき消されてしまったのでしょうか。私たちが最も警戒しなければいけない社会の空気、二つの警鐘を発しておかなければなりません。第一に「原発反対などと叫んでいても意味がない」という、脱原発運動への嘲りの空気が醸し出されているということです。原発の代わりはどうするのか。対案なく反対といっても意味がないというものです。しかし、決してそうではありません。対案なければ反対なしというのは、政府と官僚が主権者である国民、市民を脅し、口を封じるための常套手段でした。核心となる情報を隠しておいて、お上のいうことに盾突くとはけしからん。対案を出せ。こういう仕組みです。人々の魂に根付く平衡感覚とか、鋭敏な危険察知能力。あるいは、およそ命あるものに必ず備わっている畏怖心。そういったものこそが、安心社会の礎であります。
 二つめは、新しい原発安全神話が大手をふるい始めたということに警鐘を鳴らしておかなくてはなりません。すでに報じられていますように、原子力安全基本法の基本方針に、いつのまにかわが国の安全保障に資するという文言が加えられて、政府案が成立してしまいました。
 かつて、原発100基構想というものがありました。私たちが住むこの国の海沿いを100基もの原発が取り囲む。いったいいつ、私たちはそのようなことに合意を与えたでしょうか。国民的コンセンサスのないまま、ひた走り原発大国は破たんしました。合意なき国策をさようならという声をあげていかなければなりません。福島の悲劇に学ばない政治家を二度と国会に送ってはなりません。このことが未来への最低限の責任だと思います。

私たちは「侮辱」の中に生きている
呼びかけ人:大江健三郎さん(作家)

 私は小説を書いて生きてきまして、いま77歳であります。そして、昨年9月のことですが、明治公園の集会(9.19さようなら原発集会)に参加しました。そして生まれて初めての経験をしました。6万人を超える市民が集まりました。それは群衆というものではなかった。一人ひとり、注意深い市民が個人の意思で集まって集会を開いているということが、しみじみわかりました。そのとき、東北からいらした女性の言葉が胸にしっかりしみ込みました。
私は「さようなら原発」の運動は勝つと思いました。そして私は750万を超える署名を首相官邸へ提出するグループにも入れていただきました。そこで私たちは(藤村修)官房長官に750万の署名をお渡ししたのですが、それに対する官房長官の答えは、(野田佳彦)首相の言うことを聞いてください、とのことでした。その翌週、私は首相の大飯原発を再稼働することにしたという声明を聞くこととなりました。私は正直、落ち込んでしまいました。そして私は小説家ですから、自分の尊敬してきた作家の作品を読んでみました。皆さんは中野重治という作家をご存じかもしれませんが、私たちの父親の世代と、私たちの世代で最も影響が大きい作家で、最もすぐれた人間が誰かといえば、それは中野重治さんです。
 「もはや春風であった。それは連日連夜、大東京の空へ砂と煤煙とを巻き上げた。風の音の中で母親は、死んだ赤ん坊のことを考えた。母親は手紙の最後の行を書いた。『私らは、侮辱の中で生きています』」。
何より、この母親の言葉が、私の心を打ちますのは、原発大事故のなお続く中で、大飯原発を再稼働させた。さらにそれを広げていこうとしている政府に、私は今、自分が侮辱されていると感じるからであります。私らは侮辱の中に生きています。私たちは政府の目論みを打ち倒さなければならない。しっかりやり続けましょう。

ここにいるのが国民であり市民だ
呼びかけ人:落合恵子さん(作家)

 声は後ろの方まで届いていますか。すみません。後ろのほう、大丈夫ですね。よろしくお願いします。
それにしても何という政治であり、政権なのでしょうか。コンクリートから人へ、と言っていた人たちが命より原発を選んでしまったのです。私たちの怒り、いま外は33℃といっていますが、冗談じゃありません、100℃超えています。私たちは、命への、暮らしへの、この重大なる犯罪と侵略行為の共犯者になることはできません。私たちは二度と加害者にも被害者にもなりません。そのことを約束するために今日ここへ集まっています。自らの存在にかけて、闘うことをやめません。原発はいりません、再稼働を許しません。原発輸出させません。すべての原発を廃炉にします。
私たちが守るのはたった一つ、命です。命であり、暮らしであり、田畑であり、海であり、空であり。原発はもとより、オスプレイも基地も全部反対です。私たちはすべての命を脅かすものとここで対峙していきましょう。子どもがいて、お年寄りがいて、人と人がつながっていて。あの日常を返せ!
野田政権に聞きます。あなたたちが国民と言うときに、いったい誰を見ているのか。今日ここにいるのが国民であり市民なのです。
私たちは性懲りもなく原発を推進する人たちに、本当の民主主義とは何なのか教えなければ。私たちの声は、「大きな音」ではないのです。原発推進を、独裁を挫折させてやろうじゃないか。そして、こんなにつらい思いをしている子どもたちに、もう少しましな明日を残してから死んでいきましょう。もう一度約束です。再稼働反対、原発そのものに反対。すべてに反対することから命は再生していくこと。
暑いです。熱中症に気をつけて。これからウォークが始まります。水をしっかり飲んで。ケガのないように。捕まらないように。しっかり主張し続けましょう。

核は無条件撤廃、核はいらない
呼びかけ人:澤地久枝さん(作家)

暑いですね。今日、10万人は大丈夫かなと思いながら来ましたが、それ以上の人でした。私たちが一生懸命、こういうことをやっているのは、未来のためだと思います。絶対にもう、核に汚染されて、人々が細々と生き延びているというような地球にはしたくない。そのときに、日本がどの国よりも率先して、核を捨てて生きていくという、そういう選択を野田さん(佳彦首相)という人に考えてもらいたい。
東京も食べる物が汚染されています。大人は覚悟して食べればいいけれども、小さな子どもたち、子どもを産むお母さんたちは、それをどうやって避けるのか。日本列島全部、もう道はないのですよね。
核は無条件撤廃、核はいらない。そうなれば、輸出もしなくて済みます。日本は産業大国だとか、経済大国だとか言っているけれど、日本が小さな国になることを、なぜ恥じる必要があるのか。小さい国土にふさわしい規模で、この国に生まれてきてよかったと思えるような国にしていく。福島という故郷は奪われたけれど、まだ奪われていない故郷がこれだけあると実感できるような方向をとらなければなりません。そのためには、この炎天下に皆さんがここへ来てくださっているという皆さんの気持ちが、あの首相官邸にいる、あるいは国会を埋めている人たちに届かなければ、この国は民主主義も何もありません。「私の意見はこうだ」と言うことを、はばかることはありません。怖がることはないと思います。そこで試されるなら試されてみようではありませんか。
子どもさんの声ってすごくよく通りますね。あなたのために私たちがんばっています。まとまりませんが、皆さん、熱中症に気を付けてください。ありがとうございました。

悪いことはやめてくれと言い続けましょう
呼びかけ人:瀬戸内寂聴さん(作家)

 私は満90歳になりました。おそらく、この中にたくさんの人がいらっしゃいますが、私より年上の方はいらっしゃらないと思います。「冥土のみやげ」に皆さんがたくさん集まった姿を見たかったのです。それでやってきました。
 ちょうど100年前に日本に起こった大逆事件だとか、女性の「青鞜」の運動などを書いております。去年で100年だったのですが、どこもマスコミは取り上げませんでした。だから私は情けないと思って、また書き直しています。そうするとたくさん人たちが読んでくれました。ただ、新聞に書いたものですから。今の若い人たちは新聞を読みません。それをまた本にしました。なぜ、そういうことをしつこくやるかと言いますと、100年前に日本は大変自由を奪われた時代がありました。自分のためではなく、人のために新しい政治をやろうとしたら、全部つかまって何もできない時代がありました。その冬の時代を経て、現在があるのですが。私たちは今、毎日を何不自由なく暮らしているけれども、さまざまな人たちが苦労をして、自由を守ってきたから今日があるのだと思います。
いくらこれだけ集まっても、私は90年生きてきましたから非常に懐疑的なのですが、
これがすぐに原発を止めるとか、政府の方向を変えるとか、そうはならないのではないかという、非常に疑り深い気持ちを持っております。それでも私たちは集まらなければならないのです。なぜなら、私たちは税金を払っている日本の国民です。だから、政治に対して言い分があれば、口に出して言っていいのです。身体で表していいのです。そういうことを、今の人たちはあまりしなくなりました。
 悪いことはやめてくれと、たとえ相手が聞かなくても言い続けましょう。今日はこの暑い中を本当にありがとうございました。

私たちは賭けをしているときではない
広瀬隆さん(作家)

 そうそうたる方々の中にいるのは居心地が悪いのですが、ちょっと話をさせていただきます。まずここにお集まりの皆さんに心から感謝申し上げます。そして今日の主催者の皆さんに。
 空を見上げてください。ヘリコプターがいっぱい飛んでいます。あのうちの一機は皆さんのお金で飛ばして、正しく報道しています。地上と全国を結んでいます。この数はとてつもない数です。数えられないほどです。しかし、まだ原発が動いているのです。これは不条理です。ここにいる私たちの多く、そして大飯原発を動かした関西電力の経営者もみんな大人です。大人と大人が対峙して、いま原発が動いているというのはどういうことなのか。これは、私たち日本の社会全体が、いま子どもたちや若者に対して、取り返しのつかない罪を犯している。私はそういうふうに感じています。だから何とか止めたいのです。そうしないと、私は自分のかわいい孫たちに顔向けできません。
 日本は一応、工業立国で世界トップです。自動車を大量に生産しています。自動車はエンジンで走ります。実を言うと、去年と今年の一年半で、「エンジン発電機」が原発10基分も生産されたのです。これを多くの企業が買ったのです。関西地方で、これを午後のほんの2、3時間動かせば、全く電力不足は起こらないということがわかっているのです。それは翻って考えますと、関西電力が大飯原発を再稼働した理由は、電力不足ではないのです。関西電力の福井県若狭に抱えている原発を廃炉にすれば資産がなくなる。彼らは経営破たんを避けるためにこういうことをやっているのです。ですから、私はどうしたらいいか考えました。
 今日のそうそうたる呼びかけ人の皆さんがずらっと並んで、関西電力の経営陣が相手方に並んで、同じテーブルについて取引をしたいと思うのです。私たちが求める条件はたった一つ、原発を止めること、それしかないです。向こう側が求めることは経営破たんを避けたいということです。これは取引できると思います。電気料金の値上げ。皆さんは怒るかもしれませんが、いまこのまま運転を続けていればどうなるか。私たちは賭けをしているときではないと思うのです。

ビッグピンチをビッグチャンスに変えていこう
中嶌哲演さん(住職)

大飯原発の再稼働に反対し続けている皆さん、そして今日お集まりのすべての皆さん。本当にありがとうございます。地元の中の地元、小浜市民の一人といたしまして、再稼働見切り発車をストップできなかったことに、忸怩たる思いを禁じえませんが、かれこれ30年前に、その小浜市民は強力な反対運動を展開しました。その折の、一人の小浜市民の声だけは皆さんに伝えておきたいと思います。「(大飯原発)3、4号機が増設されたならば、私たちの子や孫に死刑宣告を受けたのも同然だ」という言葉であります。
長年、進言し続けてまいりました、若狭の住民、一仏教徒として、端的に皆さんに訴えます。大飯3号機は残念ながら、もうフル稼働に入っております。この大飯3号機が24時間フル稼働しますと、1830万kwの膨大な電気を作り出します。一日動かしますと、関西電力は多く見積もりましても、5億円を手にすることになります。一日動かしますと、広島原爆3発分の死の灰が生成されるという事実であります。これらの単純な事実の中に、原発必要神話の根源と、安全神話の根本的な欺瞞があります。
一つめの関西方面への送電の件でありますが、関西広域連合の知事さんたちは、福島原発震災を受けて、被害地元の主張を元に、これは非常に真っ当な主張なのですが、それを元に反対し続けてこられました。
夏の電力不足がどれほどでたらめかは、先ほどの広瀬さんのお話にもありました。なぜ火力発電所が大都市圏の海岸沿いに林立しているにもかかわらず、なぜ原発だけは福島や若狭でなければならなかったのでしょうか。
新たなヒバクシャ、被曝労働者を必要としたのでしょうか。
ビッグピンチをビッグチャンスに変えていくべく、ここに結集されている皆さんの大きな輪の中にこれからも加わり続けてまいりたいと願っています。どうもありがとうございました。

私たちはかしこくつながりあおう
武藤類子さん(ハイロアクション福島原発40年実行委員会)

 暑い日差しの中を、「さようなら原発10万人集会」につながる皆さん、本当によく来てくださいました。主催者でもない私がこんなことを言うのはちょっと変ですけど、でも本当によく来てくださった、そう思うのです。
 今日皆さんにお話したいのは、悲しみと困難の中でそれぞれが、本当によくやってきたね、ということです。明らかにされていく事実の中で、さらにがっかりすることや、驚き、あきれることもたくさんありました。数々の分断は、私たちをバラバラにしようとしましした。暗闇の中で傷つき翻弄され、混乱しながら、それでもつながり続け、一人ひとりが最善を尽くしてきたと思います。それがこの公園に広がる色とりどりの花模様です。官邸前の暑い金曜日です。日本中で展開される福島の子どもたちの保養プロジェクトや健康相談会です。日本のあちこちに市民の力で建てられた放射能測定所です。さまざまな人たちが立ち寄っていく経済産業省前テントです。
いち早く、マンパワーを送り込んでくださった、障がいを持つ人を支えるネットワークです。被曝の中で行われた数々の除染実験です。見知らぬ土地で勇気をふりしぼった新しい生活です。「福島の女たち」の大飯原発弾丸ツアーです。1,300人以上の市民による集団告訴です。電力会社を訴える数々の裁判です。政治に訴えるあらゆる取り組みです。情報開示や自治体へのたゆまぬ働きかけです。インターネットで、瞬く間に広がっていく小さな報道です。映画であり、音楽であり書物です。各地に広がるユーモラスな福島の盆踊りです。いま私たちの上を飛ぶヘリコプターです。そして今日、福島県の二本松市というところから、てくてくと歩いてやってきた人がいます。「灰の行進」の関さんです。この会場におられます。彼は6月のある日、たった一人で東京へ向かって歩き始めました。かつて、3.11の事故が起きる前に、二人の若者が東京から福島までを歩きとおす、廃炉ウォークを試みようとしたことがありました。それは消費地東京から、原発現地の福島へ電気を送る道を逆にたどり、原発なき新しい世界のビジョンを考える行進のはずでした。しかし、今、電気の道をたどりながら、放射能に汚染された庭の土を背中に背負って関さんは一歩一歩、歩いて来ました。明日、東電と経産省に「あなたがたが出したものを返しに来たよ」と渡しに行くのだそうです。暑い日も雨の日もてくてく歩くうちに、ひとりふたりと同行者が増え、今日は、どれくらいの人々とともにこの公園へ歩いて来られたのでしょうか。
私たちは、今日ここで、「本当によくやってきたね」と自分をほめ、いま隣りにいる人をほめましょう。そして、深く息を吐き、体をいたわりましょう。私たちの行動を支えてきた大切な体です。これ以上、自分自身をすり減らしてはいけません。明日をかしこく生きるために、ひそかにほほえみをたくわえましょう。
しかし、それでも福島の現状はあまりにも厳しいのです。4号機、甲状腺検査、再稼働、ガレキ問題、安全保障、廃墟と復興の間で、ひっそりと絶たれていく命たち。アメリカのジョアンナ・メイシーという人がかつて言いました。「絶望こそが希望である」と。福島原発事故という最悪の事態の中から、私たちはかすかな光をたぐり寄せ、今、このように青空のもとに集まっています。声なき声と共にあり、分断の罠にゆめゆめ落ち込むことなく、かしこくつながりあっていきましょう。ともに歩んでいきましょう。

5件のコメント

  1. 秋の深まりとともに、世の中は「まるで何もなかったかのように」「原発は大切なエネルギー」の流れが静かに確実に広まっているように感じます。日本から「原発」をなくすというのは難しい…という無力感のようなものが支配しつつあります。それは我々の「社会」が「原発」を動かすことによって「儲かる」システムにどっぷり漬かってしまっているからだと思います。大企業、ものつくりの中小企業、すべて「安価な電気」があって初めて成り立つ仕組みだからのように思えます。しかし、本当に安いの?この地震列島に原発を動かす、という「狂気」がさも「正当」のように「安い電気」が必要だ、という脅しに負けてはいけません。温暖化?二酸化炭素?石油や火力を燃やすことの危険より「原発」が安全なんて笑止千万、10万年も人類を死の恐怖に怯えさせる「猛毒」は絶対に許しません。「脱原発」日本が生き残る道はこれしかない、秋も冬も負けません。

  2. 7月16日の集会のお手紙をいただき本当に嬉しくおもいました。原発を無くさなければならない。この願いは、私たち一市民のエゴイステイックな思いではなく、生きとし生きるもの全ての切なる願いです。
     今生きるもの、そして未来に生きるもの、世界に生きる者全ての願いです。それなのにほんのひとにぎりの人間が再び原発を稼働し始めました。
     この人たちは誰からこんな権利をあたえられたのでしょうか。命を危険にさらすことがあっても原発を動かしてよいなどと、命じるそんな権利は誰にもあるはずはありません。そんな暴挙を何としても止めなくてはと思う気持ちを、この集会お知らせが救ってくれました。

     原発が危険であることを分かっていながら、稼働させようとする鉄面皮の人たちです。一度、二度集会をしたからといって、願いを聞き入れることはないでしょう。でも、私たちは私たちの願いを諦めるわけにはいきません。
     危うくなっている日本の未来のために、負けてはいけないのだと思っています。

  3. 「再稼働」は「合法的に平然と人が人を喰らえる」を達成(原発の既得権益を維持・拡大)するための「手段」でしょうか yes/no?

    次の【発言録】を拝見し、非常に深刻な日本の課題に直面しました。

    <以下は、「さようなら原発」HPの【発言録】さようなら原発10万人集会 から引用>
    ・・・780万筆もの署名を集めました。それを6月15日、首相官邸に持っていきまして、藤村(修)官房長官に提出しました。しかし、その次の日に(政府は)大飯原発の再稼働を決めました。こんな政府がありますか。こんな主権者の声を、民意を、汗と涙にまみれて集めた署名を、踏みつぶして平然としている。このような内閣に私たちはNoを突き付けたい。・・・[呼びかけ人:鎌田慧さん(ルポライター)]
    ・・・私は「さようなら原発」の運動は勝つと思いました。そして私は750万を超える署名を首相官邸へ提出するグループにも入れていただきました。そこで私たちは(藤村修)官房長官に750万の署名をお渡ししたのですが、それに対する官房長官の答えは、(野田佳彦)首相の言うことを聞いてください、とのことでした。その翌週、私は首相の大飯原発を再稼働することにしたという声明を聞くこととなりました。私は正直、落ち込んでしまいました。・・・[呼びかけ人:大江健三郎さん(作家)]
    <以上にて、「さようなら原発」HPの【発言録】さようなら原発10万人集会 の引用おわり>

    ◆私は、先月「6.16再稼働の決定」に不審をいだき、いろいろ調べました。
    その結果は、<原発再稼働の真相がわかれば、「在るべき姿勢と為すべき言動(当為)」が見えてくる。
    当為は「さようなら原発」「脱原発」「原発ゼロ」です>と題し、
    僭越ながら、この「さようなら原発」HPの「写真報告/7.16集会」画面に「7.24コメント」として投稿させて戴きました。ご参照ください。画面のreply欄によるご高批をお待ちいたします。

    ◆しかし、この度、直面した課題は、上記の「当為」とは違います。
    なぜなら、引用の【発言録】の記載は、政府に対し、呼びかけ人の方々が「当為」をなさった後のご発言だからです。
    【発言録】に記載の野田内閣の言動は、「孔子倒れ(くじだおれ)」という説話を私に想起させました。

    ◆失礼ながら、念のため、以下、これにつき少々、付記説明させて戴きます。
    「孔子倒れ」とは、今昔物語・震旦部・巻第十第十五(話)に記載の「孔子が盗跖(とうしゃく)に教え諭そうとしてその家に行き、彼の非道な言動に恐怖を感じ逃げ帰る話」の最終文に説話のまとめとして記載されている語句・諺です。説話の要旨は、上記標題の通りです。
    尚、「孔子倒れ」は、宇治拾遺物語・巻十五ノ十二「盗跖(トウセキ)と孔子(コウシ)の問答事」や源氏物語・胡蝶「右大将の、・・・、恋の山には『孔子の倒ふれ』まねびつべきけしき・・・」などにも見られます。要は、「孔子のような聖人でも失敗することがある」の意味であり、類句「弘法も筆の誤り」「河童の川流れ」等のような意味で膾炙してきたと考えられています。
    尚、原典は荘子「孔丘に相去ること百余歳、何ぞ孔子と盗跖の相論ずるを知らんや」らしいとのこと。

    ◆しかしながら、再稼働への署名提出における「孔子倒れ」の意味は、上記諺それとは全く違います。
    (a)先ず、説話中の盗跖(配下に二三千人を擁する武装集団の首領)は、「他人の物を善悪を選ばす我が物とし、道を滅ぼし、人を煩わし、諸々の不幸な事の限りを好んで生業にする」世界にあります。
    つまり、盗跖は「平然と人が人をを喰らう」世界にあります。
    (b)これに対し、野田内閣は、再稼働や署名提出において「合法的に平然と人が人を喰らえる」世界の住人であることを見せつけました。
    (c)他方、「さようなら原発」活動は、定言命法である当為(不文律)「当然、人は人を喰らわない」ことが常識の世界にあります。
    上記(c)「さようなら原発」と(b)「野田内閣」との対比により、世界の異なることが明白です。

    ◆本来、先人の知恵として受継いできた法律の世界は、「誠実に生きる」「他人を害しない」「各人のものを各人に分配する」を基本原則とします。
    ではなぜ、上記の基本原則に反する(b)「野田内閣の世界」が厳然と存在するのでしょうか。

    人類は、野生<(文明)道徳律・格律・倫理<法律の順に文明開化してきました。
    野生は「人が人を喰らう」不文律(自由奔放な野生動物)の世界です。
    道徳律は「人は人を喰らわない」不文律(順守に理由なしの定言命法)の世界です。
    法律は「人は人を喰らえない」成分・法治(順守に条件ありの仮言命法)の世界です。

    ◆つまり、欧米の法律は本来「人は人を喰らえない」ことを基本原則とし、立法化されてきました。
    その法体系を日本は、欧州から輸入加工し、制定した明治憲法下では、例えば、特攻兵に対し上官が「キサマらに死んでもらう」と命令できる、つまり「人が人を喰らえる」軍国法治国家を作り上げました。
    しかし、戦争時の「合法的に人が人を喰らえる」法制は露骨であり、特攻兵は全員、騙されることなく、各人各様に目的や理由を創作し、特別攻撃(自殺)した記録が残されています。

    ◆ところが、敗戦後の日本では、立法化を悪用し、利権の獲得と拡大を目的とする条文(条件)が立法化の段階で密かに加除され、その結果、悪法(人が人を喰らえる法律)が、仮面をかぶり、巧妙に横行する事態に陥っている(原子力基本法とその関連法令、厚生年金法、赤字国債法等々)。
    そして、その法令順守を標榜し、平然と合法であることを理由とする不道徳な既得権得による外部不経済(例えば、放射能公害公害、電磁波公害、金融公害など)が続発席巻し、国民は気づかぬままに、生存権を脅かす被害や災害を蒙っている。今日の日本の原発事情は、まさに、その典型です。

    これに対し、ここ数年来、企業の社会的責任(CSR)、世界標準化機構(ISO)の社会的責任規格ISO 26000、社会的責任投資(SRI)等、企業、市民、消費者のための「ガイダンス」(勧告案内)が主に産業界から発行公表されている。しかし、法的拘束力はなく、モラル下落・腐敗に対する効果は期待できそうにない。

    ◆以上に基づき、標題の
    「再稼働」は「合法的に平然と人が人を喰らえる」を達成(原発の既得権益を維持・拡大)するための
    「手段」でしょうか yes/no?
    の私の回答は「yes」です。
    再稼働の決定は、諸外国、特にベトナムやヨルダン等の原発輸入国(候補国を含む)に対する「日本原発の安全宣言」であり、「日の丸原発・輸出の正当化」を意味している。
    しかし、この安全宣言は事実に反する。いまだに、10万人被曝の真相究明も、原発の安全保障も未達成であり、更に、安全神話の崩壊は何も復旧されていない。
    結局、野田首相は、国内外に「日本の原発は安全」という嘘を、「安全だから再稼働した」という偽装の既成事実にすり替えようとしている。
    しかし、再稼働とは関係なく、日本の原発が安全でなく危険である事実には変わりはありません。
    大飯原発の再稼働に騙されてはなりません。

    ◆堕落・腐敗した法令そのものを廃棄するか、本来の「人は人を喰らえない」法令に是正する必要があります。
    これには、既に提起中のおそらく70件を超えるであろう「原発訴訟」で全て勝訴することです。
    全国レベルの訴訟は、違憲審査権の発動による違憲判決で、勝訴することです。
    「さようなら原発」「脱原発」「原発ゼロ」等々の活動と「原発訴訟」は、「原発ゼロ」を達成するための
    「車」の両輪です。
    全ての訴訟で勝訴するまで、「さようなら原発」「脱原発」「原発ゼロ」等々の活動を、日本全国に更に広く深く浸透させるが必要不可欠だと確信する次第です。

    ◆付記:3.11福島原発事故は、いったん事故ると、現行の[核分裂]原発・原潜・原船が「原爆に変身」することを警告しました。同時に、見ることも消すこともできない、まさに亡国の「放射能公害」を蔓延させることも教示しました。また、面子にこだわり、原発「たそがれ市場」を無視し、その強がり輸出や無鉄砲輸出は、日本政府に、ひいては国民に、亡国に至る巨額の負債をもたらすことは必定です。
    このことも決して忘れてはなりません。<以上>

    • 私には少々難しい内容でしたが、結論としては全く同感で興味深い内容でした

      我田引水の勝手な話になりますが・・・私は、こうした運動は世論の成熟そのものの顕れであると考えます

      大衆が社会問題に関心を持ち、自ら考え、活発な意見交換がなされる事は、政治と国民の本来の関係性を取り戻すのに不可欠であり、ネット世論の出現した現在は、その大きな発展の時期なのだろうと思います

  4. 私も、この会場に駆けつけました。日本政府は「痛みの分かち合い」だとか「絆」だとか、言っていますが、政府に言われなくても、私たちは支え合っています。日本政府は民間(もしくは個人)のボランティアに頼っていると思います。私も、震災以後、5回ほど東北に出かけました。ボランティアをするためです。(ほんとうはもっと行きたいですが)。

    いま、私たちは支え合ってかろうじて生活をしているのが現状だと思います。今後、再稼働した原発の事故が起きたとき、「痛みの分かち合い」などど言ってほしくありません。それは「痛みの押しつけ」にすぎないからです。

    安全だと言い続けてきて福島で事故が起き、まだ収束もしていない。多くの被害者を出し、誰が明白な責任を取れるのか。原発事故現場で被ばくしながらも収束のために働いている人のことを考えたとき、犠牲の上にある国策が人々を苦しめている、と、感じます。

    事故を受けて自殺してしまった人たちを、生き返らせてほしい。彼らの無念の思いを、なぜ、政府は受け止めてくれないのか!

    命は尊いものだと子供たちに教える大人が、命の尊厳を軽んじているように思えてなりません。いじめがはびこるのは、大人社会のゆがみが、子供たちにしわ寄せをするからだと思います。

    まだ、間に合います。再稼働を止めてください。

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