3月20日、「さようなら原発全国集会」を開催しました。

雨にも負けず「さようなら原発全国集会」

3月20日、代々木公園で「さようなら原発全国集会」が開催され、開会直前に冷雨が降り出す悪条件の天気でしたが、6000人が集まりました。

集会は司会の畠山澄子さんにより進められ、松元ヒロさんのコントから始まりました。麻生太郎のモノマネや「トリチウムの半減期は12年」などためになる知識も織り交ぜながらの風刺コントに、ステージ前は笑いの渦に包まれました。

主催者あいさつで落合恵子さんは「事故から13年が経ち、現実から目をそらすシステムが沢山ある。でも能登で地震があり、この地震大国に原発はいらない。私たちは福島を忘れない、原発と私たちの命は共存できない。原点に戻って考えてください。」と話しました。

93歳の高齢をおして参加された澤地久枝さんは「原発を持たない国、軍備を持たない国を実現したいと思っている。そのためにささやかでも努力する。お互いに頑張っていきましょう」としました。

主催者のあいさつに続き、福島原発事故を風化させまいと全港湾、全日建等の青年層を中心に作られた「フクシマ連帯キャラバン」は、16日の福島集会から出発してフィールドワークのほか、茨城県や水戸市・東海村等各自治体への要請行動を積み重ねながら東京の集会に合流し、「原発をなくすまで集会を続けましょう」と元気よく話しました。

「これ以上海を汚すな市民会議」の片岡輝美さんは、福島県議会で『教育現場におけるALPS処理水の理解醸成に向けた取組の更なる強化を求める意見書』が自民党議員により採択された問題を取り上げました。「文科省に放射能副読本の活用や出前講座の拡大など、県議会は国が教育現場に介入でする道筋を付けさせた」と批判しました。

「志賀原発を廃炉に!訴訟原告団」の北野進さんは「元旦の地震で能登の風景は一変し、私たちの暮らしも大きく変わった。かつての珠洲原発予定地の中電の寺家では1mの隆起、関電の高屋では2mの隆起ができた。珠洲原発が出来ていたら家屋倒壊、道路寸断、津波被害で奥能登が孤立し、被曝に晒されていたと思う。全国の皆さんの応援に感謝したい。志賀原発を廃炉に追い込む全国集会を震災から半年の6月から7月に掛けてやりたい」と今回の地震の応援、激励への感謝と共に決意を語りました。

「女川原発の再稼働を許さないみやぎアクション」の多々良哲さんは「東北電力は女川原発2号機を6月に再稼働するとした。福島原発と同様の沸騰水型原発であり、地震に対する知見の乏しい70年代から80年代に設計、建設されたBWRマークⅠです。3月23日にさようなら原発全国集会in宮城を開催する」と話しました。(編集注:1000人が参加し鎌田慧さんも発言)

東海村村議の阿部功志さんは.「東海村は1月、議会選挙があって18名の議員のうち13名が再稼働賛成で、5名が慎重か反対です。ただ、脱原発首長会の村上達也前村長の娘さんがトップ当選し大きな力になった。東海村は年末に村長が避難計画を発表し、そのわずか3日後に能登半島地震が起きた。山田村長は『複合災害の場合はゼロから検討するしかない』としている。東海原発30キロ圏内には92万人が住んでいる。スクリーニングの訓練でも避難は無理だった。自民党は反社会的勢力になっている。政権を倒しましょう」と話しました。

集会の最後に鎌田慧さんは「13年経ってもまだ原発がある。原子力緊急事態宣言下でも岸田首相はまだ新増設を言っている。地震多発の日本に原発はいらない。脱原発に向かって、さようなら原発の力を強めていきましょう」と結びました。

集会後には、渋谷コースと原宿コースに分かれてデモが行われました。

※集会の様子をお伝えするスライドショー動画はこちらです。

当日配布のプログラムはこちら

プログラムの裏面として、プラカードを4種類作成しました。
呼びかけページはこちら⇒ http://sayonara-nukes.org/2024/01/20240320sayounara/

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