福島原発事故を教訓として

                                     脱原発の誓い新たに

3・27さようなら原発集会に1500人

 

福島原発事故から10年を迎えた今年の集会は、日比谷野外音楽堂に1500人が集まり開催されました。コロナ禍で客席の収容は半数の1300人に抑えられ、およそ200人が野外音楽堂周辺に集まりました。

福島市出身のシンガーソングライター片平里奈さんが、オープニングコンサートを披露後、芸人9条の会でも活躍する古今亭菊千代さんの司会で始まりました。最初に鎌田慧さんは「政府はまだ原発を運転しようとしている。福島ではまだ帰れない人が4万人以上いる。原発を一刻も早く停止させよう。署名は愛知の署名と違い一人一人の決意の881万人の署名を提出した。(3月5日には3回目の43万筆)」と挨拶しました。

作家の澤地久枝さんは「90才を迎えたが、命ある限りは反原発の志を10年前を知らない若い人たちに訴えていきたい。」と熱い想いを話されました。

福島原発刑事訴訟支援団の千脇美和事務局長は「25日から聖火リレーが始まったが、福島はオリンピックどころではない。放射性物質の総量規制がない日本では、漁民や海外からの声も無視し放射能汚染水の海洋放出や、汚染土の地方搬出が行われようとしている。夏頃には裁判の控訴審が開かれると想定されている。是非集まって。」と訴えました。

原自連の吉原毅城南信用金庫顧問は「福島原発の爆発で政府発表でも広島原爆の168発分の放射能が出された。チェルノブィリを上回る汚染地にこどもを戻そうと援助打ち切っている。3月11日には元首相5人のメッセージも原発ゼロのメッセージを出した。」とし、

菅直人元首相は「事故直後には250キロ圏内の避難も検討された。今年の選挙では原発に反対する議員を過半数にしよう。」と話しました。

東海第二原発裁判の大石光伸さんは「3月18日、水戸地裁は福島事故の教訓から自然災害は確実に予想することはできないと運転差し止め判決を出した。」と話し、最後に落合恵子さんは「自民党政権を変え、全国から原発をなくそう」と訴えました。

プラカードによるアピールの後、デモは東電本店や数寄屋橋交差点を通り、東京駅近くの鍛冶橋交差点まで行いました。

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