12.15「さようなら原発世界大集会」発言録


 12月15日、あいにくの雨模様の中、東京・日比谷野外音楽堂において、約1600人が参加して行われた「さようなら原発世界大集会」。
 この集会は、15日から17日にかけて、日本政府と国際原子力機関(IAEA)が「原子力安全・福島閣僚会議」を福島県郡山市で開催することへの対抗アクションとして企画された、東京・日比谷と郡山で同時参加型アクション「Nuclear Free Now」の一つとして開催されたものです。集会日程が決まった後で、衆議院解散と東京では前知事の辞職に伴い、翌日に各選挙の投票日が設定されたこともあり、登壇者からは選挙に関する発言もありました。

「美しい日本」を破壊したのは誰か
鎌田慧さん(「さようなら原発」呼びかけ人・ルポライター)


 皆さんこんにちは。今日は雨の中ありがとうございます。私たちは3.11の事故の後、さまざまな集会をやってきました。雨が降ったのは今日が初めてです。闘いは長くなりそうですが、それでも私たちは脱原発に向けてがんばっていきたいと思います。
 選挙戦では、ほとんどの候補者が脱原発を言うようになりました。言わざるを得ない状況を、私たちがこの1年9ヵ月、耕してきたという成果を忘れることはできません。
 例えば、去年(2011年)9月の明治公園の6万人集会、あるいは今年7月の代々木公園の17万人集会。あるいは各地の、さまざまなところでの集会、そして首相官邸前のデモ。国会包囲デモ。経済産業省のテント村。いろんな方々が苦労して、脱原発を誓って闘ってきたわけです。今日の集会は、たまたま日程が選挙戦とぶつかりました。どんな政権になっても私たちは脱原発の声を落とすことはありません。それが次世代の子どもたちに果たす私たちの役割だと思います。
 いまこの瞬間においても、福島の人たちは非常に苦しんでいます。避難するべきか、避難しないほうがいいのか。ガレキを受け入れたほうがいいのか、受け入れないほうがいいのか。こういう根本的矛盾を作り出したのは誰ですか。自民党の原発推進策だったわけです。闇雲に彼らは自分たちの利益のために原発を進めてきて、今まだ何らの反省もない。電力会社も何の反省もありません。
 今、もう一度地震があって、原発事故が起こったらどうなるでしょうか。そのような、身の毛のよだつような気持ちで私たちは闘っています。イタリアやドイツなどの市民が、先に脱原発の方向を歩いています。私たちはそれに遅れをとらないようがんばっていきたいと思います。
 自民党は「美しい日本」などとまだ言っています。美しい日本を破壊したのは誰ですか。かつて自民党と産業界が公害問題によって、日本を破壊してきました。それを反公害闘争によって克服してきたのです。そして今、原発が美しい日本を破壊しました。それを私たちは修復していかなくてはいけません。
活断層がいろんなところに現れています。これは最初から指摘されてきたことです。でも原子力安全・保安院も電力会社も無視してきました。そういう負の遺産の上に立って、今回の選挙があります。皆さん、がんばりましょう。

合意なき国策がこれ以上進むことがないように
内橋克人さん(「さようなら原発」呼びかけ人・作家)


 雨の中を本当にありがとうございます。今日お集まりの皆様方は、どんな困難があっても、それを乗り越えていく力を持った方々だと思います。ここからお一人お一人の顔がはっきりと見えます。
 私たちの運動の成果は世界でも注目されています。しかし、その運動に対して、それを揶揄したり中傷したりする言葉が氾濫するようになってきました。それは空想、夢を語っても実際に原発をなくせば日本人は滅びるなど。私はそういう人たちこそ、空想科学主義だと思います。たとえば、核燃料サイクルです。半減期、実に2万3千年かかる、それを科学技術が解決するという、これこそ空想です。脱原発を望む人に浴びせられる中傷の言葉、それを乗り越えていかなくてはなりません。
 いま控室で、リトアニアとイタリアの方(モニカ・ゾッペさん、アンドレイ・オザロフスキさん)とお話をしていましたが、日本人の責任の取り方。原発事故を起こした国の国民の責任の取り方は立派だというようなお言葉を聞くことができました。総選挙が迫っていますが、必ずしも私たちが望んできた方向に動いているわけではありません。おそらく私たちは、明日、明後日、大変な悲劇、絶望や悲しみ、その現実を見せ付けられることになるかもしれません。けれども、それに負けることなく、原発のない日本ということを明確に示していかなければならないと思います。
 国民のコンセンサスもない、合意もないまま推し進められてきた原発推進政策。誰一人、それを省みて反省する言葉をこの選挙期間中に聞くことはありませんでした。合意なき国策がこれ以上進むことがないように、明日の結果がどうなろうと、この運動は続けていかなければなりません。
 日本とアメリカの間には、日米原子力協定が結ばれております。日本は濃縮ウランをアメリカから買い続けなければなりません。こうした国際的な問題にどうクサビを打つのか。野田首相(当時)は昨年(2011年)9月、国連でスピーチを行っております。私たちは最高レベルの安全技術を確認する、これが野田首相の言ったことです。その裏には発展途上国その他に原発を輸出していくという原発利権構造、これを温存する意図がありありです。一つひとつ、かしこく、勇気を持ってすべてを見抜いていきましょう。どのような結果になろうとくじけることはありません。私たちはやり続ける。このことを皆さん、ぜひ心を一つにして前へ進みましょう。時間が来ました。ありがとうございました。

もう一度約束しましょう。3・11を忘れない、福島を忘れない、と
落合恵子さん(「さようなら原発」呼びかけ人・作家)のメッセージ

 こんにちは。落合恵子です。以前より決まっていた岐阜での反原発集会に参加するため、東京を離れています。皆様とご一緒できないことは残念ですが、気持ちはいつも一緒です。
 今日、ここ、日比谷公園にも福島からのかたがおられることでしょう。
 福島第一原発の過酷事故が何ひとつ収束しないまま迎えた、はじめての総選挙です。ここで私たちはもう一度、いえ、何度でも想い返しましょう。
 一体、どの政党が、長年、原子力政策をすすめてきたのでしょう。
 でたらめな安全神話をばらまいてきたのでしょうか。
 その政党がいま、世論調査では総選挙圧勝が伝えられています。
 憲法改悪が平然と語られ、国防軍などという物騒な言葉も飛び交っています。
 このまま圧勝を許せば、「まるで原発事故などなかったかのように」原発は維持され、再稼働容認へとなだれを打っていくことでしょう。
 福島の苦しみは置き去りにされたまま、にです。
 この政党が勝利をおさめれば、沖縄をはじめ基地を押しつけられたところは顧みられることなく、米国が言うがままに、自らの国民に犠牲を強いていく差別の時代と社会はより一層、固定化されていくのです。
 いつの日か、こういった集会やデモさえ、取り締まられる日が来るかもしれません。
 私たちそれぞれの権利である一票を、反原発・脱原発、反戦、反基地、反差別としっかり取り組む政党と候補者に入れましょう。
 そして、たとえ総選挙の結果が私たちが望む通りにならなかったとしても、約束しましょう。反原発・脱原発に私たちはこれからもむろん取り組んでいく、と。
 もう一度約束しましょう。3・11を忘れない、福島を忘れない、と。
 元気でいてください。お願いです。

大変な時代を協力して歩いていこう
田中優子さん(法政大学教授)


 皆様こんにちは。もしも、日本の原発が次々と廃炉になるようになったら、私たちのこの集会はもういらないのです。この集会がいらないような日本にしたいです。しかし、これが別の方向に行くようでは、とんでもないことになります。
 私は江戸時代の研究をしています。江戸時代でも、次々と地震が起こりました。大きな地震がありました。しかし、そのたびに人は乗り越えてきました。でももう、3.11だけではなくて、これから原発をこのままにしておけば、どんな地震も私たちは乗り越えることが出来ません。明日の選挙の結果次第では、地獄に落ちていくような気がします。大変な日本になっていくような気がします。
 そして、もう一つ明日の選挙結果次第では、日本は国防軍を持つそうです。誰かが日本を取り戻そうと言っています。たぶん、70年前の日本を取り戻すというのです。戦前戦中の日本を取り戻そうという、そういう意味なのだと思います。60年代、70年代の原発を次々とつくっていったあの日本を取り戻す。そういうつもりなのだと思います。
 しかし、戦前戦中も多くの方がいろいろな運動をしていました。たくさんの知識人がさまざまなものを書いていました。その方たちが自分の命、家族の命を守るために、あるいは組織を守るために沈黙することになりました。沈黙するだけではなく、軍部に協力する人もたくさん出てきました。命を失う人たちも出てきました。その時代の日本を取り戻すつもりなのかもしれません。もしそういう日本がやってきたら、こんな集会どころではなくて、学校現場でも、それから執筆の現場でも、反原発だけではなく、いろいろな運動が弾圧されるかもしません。そういう方向へ行ったのならば、私たちはこのような集会をやめるわけにはいきません。この集会だけではなくて、もっともっといろんな運動を起こしていかなくては、戦争に突入すると私は思っています。
 沈黙に落ちた人たち、軍部に協力しなければならなかった人たち、そういう方たちはそれなりの理由があったと思います。でも次の世代には、そういう人たちが出てこないように私たちは支えあわなければならないと思っています。支えあって、いくつもの組織が協力し合って、次の時代をつくっていかなくてはなりません。明日以降、原発がいつ汚染を広げるかもしれない、そういう境遇の下で生きるのか。それとも廃炉という輝かしい、苦労は多いけれども誇り高い輝かしい仕事に向かって、新しい雇用が生まれていくのか。私たちが新しい仕事ともに次の新しい一歩を踏み出すことができるのか。
 私はこの集会の賛同人ですが、心から賛同するとともに、ますますこのような運動を広げ、そしてこれが反原発だけではなく、核を含めた9条を守る運動と一緒に手を携えて、新しい運動のかたちになっていく。そういう方向に私自身も歩き出したいと思っています。皆さんもおそらく、これから日本でどんな立場に立つか、どういう発言が許されるか、あるいは許されなくなるのか。大変な時代になることと思います。でも私たちは協力して歩んでいこうではありませんか。
 この雨の中、皆さんがこういうふうに集まっていらっしゃる、このことに大変心を打たれています。私も今後、どういうことがやってこようと、皆さんと一緒に闘っていきたいと思います。ありがとうございました。

イタリアは脱原発を果たした
モニカ・ゾッペさん(イタリア/環境NGO・レーガンビエンテ)


 こんにちは。私たちはイタリアの脱原発運動から、皆さんにメッセージを持ってきました。私たちは去年、イタリアで原発を廃止することに成功しました。国民投票で98%の人が脱原発に賛成したのです。しかし、それでもわれわれは十分だとは思っていないのです。私たちは世界のすべての国が原発から解放されるまで、努力を続けるべきだと思っています。
 先月、私たちは会議を行いまして、28ヵ国から4000人もの人が集まって、どういうふうにして脱原発を進めていけるかと話し合いました。この会議でいろいろな今後の課題について話し合いましたが、いちばん重要なのは宣言を採択したことです。これは国際的な運動であるということを合意しました。この先、私たちが目標とするのは、ヨーロッパレベルで国民投票を行って、ヨーロッパの市民が脱原発を選択するかというものです。そのリクエストを出そうと思っています。福島の事故から2年を迎える来年の3月11日にパリで次の会議は行われます。
 私たちはイタリアの経験から、原発を廃止することは可能なのだということを学びました。原発によって、いくらエネルギーが供給されようとも、事故の被害者の被害を埋め合わせするには十分なことではないのです。明日は日本で総選挙があるということをうかがっています。さまざまな政党が総選挙に参加しているということもうかがっておりますが、皆様方にお願いしたいことは、ぜひあなた方の未来、あなた方の子どもさんたちの未来をいちばん考えている政党に票を入れること。いちばん原発を廃止してくれそうな政党に票を入れてほしいということです。
 最後に皆さんにもう一度呼びかけをしたいのは、この運動をずっと続けてほしいということです。脱原発は可能なのです。私たちもイタリアで脱原発を果たしましたので、皆さんもぜひその努力を続けてください。ありがとうございました。

日本の企業は原発を海外へ輸出しないで
アンドレイ・オザロフスキさん(リトアニア/環境NGO・ベローナ)


 これだけ多くの方が脱原発を望んでいると知って私はうれしいです。私のメッセージとして皆様に連帯の気持ちをお伝えしたいです。世界の原発を廃止する必要があります。
 私はロシアから来ました。残念ながら、ロシアは福島の事故から何も学ばなかったのです。現に今も原発を作り続けています。しかし良いニュースもあります。リトアニア、バルトの小さな国ですが、国民投票があって新規の原発を作ることには反対するという意見が勝ちました。62%もの人が新規の原発に反対したのです。おそらく日本でも国民投票を実施した際には、日本でも原発を廃止することは可能になるでしょう。
 同時に悪いニュースもあります。日本の企業が自国内で今後新しい原発を作るのは不可能に近いと思うのですが、日立製作所がリトアニアで新しい原発を作ろうとしていました。日立が輸出しようとしていた原発は、福島第一原発と同じものです。これも止めなければいけないと思っています。日立は国民が国民投票で反対の意思表示をしたにもかかわらず、原発を輸出しようとプッシュしています。リトアニア人の意見は聞いてもらえないのでしょうか。ノーというのは明らかにノーなのです。
 それが三菱、東芝、日立などに対する日本企業への私からのメッセージです。彼らは一般の人が使うとても良い製品をつくることができるので、そういったものを作ってほしいです。人々に害を与えるようなものは作ってほしくないのです。
 私は皆さんがいずれ、日本で原発をなくすことに成功するだろうと確信しています。同時に皆さんも日本の企業が原発を海外へ輸出しないように、われわれの運動にも連帯してほしいのです。もう一つ私が確信しているのは、人間の将来に原発は存在しないということ。それをぜひともに成し遂げていきたいと思います。

 サヨナラゲンパツ!サヨナラゲンパツ!トモニガンバリマショウ!

福島は「まだ終わっていない」
大賀あや子さん(ハイロアクション福島原発40年実行委員会)


 こんにちは。福島県大熊町から避難しています、大賀と申します。改めて、「まだ終わっていない」ということを申し上げなければなりません。つい先週、12月7日には福島県の広い地域で震度5以上という大きな余震がありました。ゆっくりと激しい揺れが数分間も続き、多くの人々が恐怖に震えました。福島市内の仮設住宅では、住民が外に出て「助けて!」と叫んだなど、一時騒然としたと報じられました。
 福島県の浜通り、中通りの各地では地震からまもなく、ガソリンスタンドで給油する車の長い列ができました。さらなる大地震を、そしてさらなる(福島)第一原発からの放射能の放出を恐れて。私たちはよく東京電力の幹部や政治家や官僚たちに対して、その発言はその政策は仮設住宅に泊まってみてから、警戒区域を解除しようとする地域に住んでから、年間20ミリシーベルトくらいのところに住んでみてから、4号機の建屋を視察してから。そこで震度5の激しい揺れを体験してから言えるのかと、問いたいのだと話し合っています。
 今日私は郡山から新幹線でまいりましたが、郡山のビッグパレットの前では早朝からIAEA閣僚会議の前で非暴力直接行動のアピールが行われています。IAEAは福島で何をするつもり。放射線の影響を過小評価するな。IAEAは科学を歪めるな。放射線防護基準を見直せ。命より大事なものってある? 福島はすでに脱原発を決めた。私たちを抜きに福島のことを決めるな、と訴えています。
 同時に各地でさまざまな取り組みも続いています。茨城県高萩市では茨城県の最終処分場の建設反対集会。ここには福島県鮫川村での放射線廃棄物の焼却炉の建設を止めようとする人々も参加しています。福島市では、今日も子どもたちの健康相談会や、弁護士による賠償の相談会も行われています。
 宮城県丸森町や新南の地域、福島県の各地域、栃木県、茨城県、千葉県、群馬県。さらにもっと広い各地で、食品の放射能測定などの活動も続いています。第一原発では高線量下で、数千人の方々が収束作業に当たっています。その多くは、故郷を追われた双葉郡の住民です。そして、汚染されてしまったすべての町で、また避難先で、多くの人々が命を守るために被曝防護に気を使いながら暮らしています。
 本当にさまざまな課題が山積みです。とても無力感にとらわれてしまうこともあります。今年の6月には国会で、全会一致で「原発事故子ども・被災者支援法」が成立しましたが、まだ具体的な施策が、実行の計画すら決まっておらず、もどかしい思いをしています。支援法の成立までには、超党派の国会議員の方々の働き、そして多くの被災者の声を届けることが行われ、これまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任を負っていると、国の責任が明記されたこと。本来の避難地域よりも、広い地域を避難地域として指定し、そこで生活する被災者、そこから避難する被災者の双方に対する支援を記載していることなど、多くの画期的なポイントもありました。
 特に子どもたちの健康診断については、生涯にわたって実施していくことも盛り込まれ、医療費の減免や、その医療費の減免については、被曝と疾病の因果関係の立証責任を被災者には負わせないというようなことも規定され、いろいろと期待を持てたものだったのですが、国会が解散してしまったような状況の中で、まだ来年の予算など決まらず。その中で住宅支援については、現在災害救助法で行われているものが、12月いっぱいで新規の受付は打ち切られるということもあり、本当に日々奔走しているという毎日です。
 どんなことを福島からこちらにうかがって話したらいいのか、非常に悩んでしまって、そのとき今朝思い出した、私個人が力を得たのは、3.11より前にこんな事態を防げという希望を持って、仲間たちと歌ったことがある歌でした。大変はずかしいのですが、約20年前に六ヶ所村で友人がつくってくれた力強い歌だったので、ちょっとだけ歌わせていただきたいと思います。

原っぱに咲く 小さな花を さえずる鳥も 路傍の石も
放射能の雨にさらされては 二度と元には戻れない
原発がなぜ必要なのかと すべてのものは訊ねるはずさ
変わらぬ土と水 望むのなら 今こそ言おう 原発はいらない
伝えていこう 一人の自分に 語りかけよう 生きてるのなら
この町で生まれた新しい風 遠くの町へ吹いてゆけ

 ありがとうございました。

※ここで脱原発を政策の一つに訴える東京都知事選候補(当時)の宇都宮けんじさんが急遽かけつけて、あいさつされました。

人は「人を動かす」ことができる
澤地久枝さん(「さようなら原発」呼びかけ人・作家)


 今日はお天気の悪い寒い中を、皆さんよくいらしてくださいました。こんなにひどい日本の政治というものを、私は生まれて82年間経験したことがありません。政治家は選挙運動に当たって、福島の土地に行ったかもしれないけど、選挙で誰も福島のことにはっきり触れていません。もちろん例外はあります。
 福島は本当にひどいですよね。まだ大きな余震が来れば。(福島原発)一号機は異常がないということがニュースでは流れています。あれを無事に治める方法を人間は持っていないのです。子どもたちは大人の会話を聞いていて、あまり物を言わないけれど、しかし自分は大人になって結婚したら子どもを生んでいいのだろうか、というような子たちがいます。放射能が人間に何にも悪影響を及ぼさないなら、私たちはこんなに「さようなら原発」に一生懸命にならなくてもよかったのです。でも私たちは2発の原爆が長い時間にわたって、どのような影響をもたらしたかということを知っているし、第5福竜丸のことも知っています。さらには、チェルノブイリで何が起こったのかも知っていますけれど、それを上回るほどのものが福島で起きたわけですね。
 この頃、しょっちゅう東京でも地震がありますけど、地震列島であり、火山列島でもあるこの日本列島というものの上に、原発は一つも持ってはいけなかったのです。安全エネルギーなどという言葉でいつのまにか、美しい海岸のいちばんいいところに原発がつくられている。そして残念なことに、過疎の村や町の人々は税金の入り方が少ないから、原発を受け入れることと引き換えにお金が入ってくる。それで何とかやっている。しかし、私は命をお金で買えないと思います。
 戦後の67年近い間に、日本人は変わりました。何で変わったかというと、命よりもお金ということを平気で言うようになりました。たとえば、福島県の政治の要職にある人が、原発の放射能も問題だけどやっぱり金がほしいと、はっきりあの原発事故の後で言うというようなことがありました。でも、私たち人間だけではなくて、地上のすべての命あるもの、その命をお金で買うことができますか。本当に命というものはかけがえがないのですね。そのかけがえのないものをお金と引き換えにして踏みにじるようなことを、戦後ずっとやってきた。そのツケがいま、私たちに突きつけられていると思います。
 こんなに選挙に当たって負けたくないと痛切に思ったことはないです。去年の福島の事故以来、私はもうこの国は世直しをしなければいけないと思っていました。それが新聞やテレビを見ていれば、どうも押しやられて負けそうな形勢ではありませんか。
私は自信を持って、人は「人を動かす」ことができると思っています。私も人に動かされて、60年住んでいる町の駅の前で宇都宮(けんじ)さんの宣伝カーの上に乗りました。私は82歳ですからちょっと怖かったですけど(笑)。私は話も下手ですし、力もないですが、私をそういうふうに駆り立てるのはやはり人です。人によって、人は変わり得ます。
 この国の主人は私たちです。私たちは政治を変えていく、その権利も持っているのです。人は人を変え得るということは亡くなった加藤周一さん(評論家)が「最後まで希望は捨てない。希望を捨てなければ、絶望もない」という言葉を残されました。私は希望を持っていたいと思います。がんばりましょう。ありがとうございました。
(編集まとめ:事務局)

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