-いのちを守れ くらしを守れ フクシマと共に 3・21さようなら原発全国集会- 発言内容①

 「いのちを守れ くらしを守れ フクシマと共に 3・21さようなら原発全国集会」でのステージ上での発言をご紹介します。発言者によって、要旨であったりほぼ全文であったりと違いがありますが、その点はご容赦ください。

落合恵子さん(開会挨拶)

 愛国心とは、もし、本来の主体的なそれがあるとすれば、愛するに値する国があり、愛するに値し信頼する政治が有って初めて生まれるものではないですか。私たちから安心と安全と平和と、自分自身を生きる権利を奪っておきながら、何が信頼ですか。努力ですか。福島の人たちの苦しみといら立ちの原因を作ったのは誰なのか。森友も含めて誰が一番奥にいるか証明させましょう。
 ここで、もう一度自分と約束しましょう。私たちはこの21世紀をこの時代をこの日を生きた証として、生き続けましょう。自分自身と約束しましょう。私が考える安全な時代は、私たちの安全と安全保障とは、1.原発を一基もなくすこと。2.在日の米軍基地をなくすこと。3.改憲をさせないこと。
 二言目には国難とおっしゃる改憲の方々に言いますが、お返ししましょう。「国難はあんたたちなんだ」と。

片岡輝美さん(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表)

 先週、京都地裁と東京地裁において原発事故被害者集団訴訟判決が出ました。昨年3月の前橋地裁の判決、10月の福島なりわい訴訟の判決、そして今週の二つの判決が、国と東電の責任を認めたのです。一つ一つの判決が積み重なり、司法の世界を流れを変えさし、安心して生きる権利を回復し、少しずつ近づいている希望を私たちは胸を熱くしながら、実感しています。
 私の住む会津地方は原発事故直後から、「線量の低い会津地方」と言われ、著名な方にも直接「会津は大丈夫でしょう」と言われたことがあります。しかし、私たちの測定でも土壌の汚染や運動着・運動靴に付着したセシウムの数値は確認されています。確実に放射能がありながら、これまで原発事故こども被災者支援法をはじめ様々な支援対象から外された会津地方です。
 ここからの自主避難者も賠償の対象として認められたことが、私は本当にうれしいのです。しかし、その一方で訴えが棄却され、苦しみに全く見合わない賠償金に大きな悔しさを味わっている原告もおられます。それぞれの裁判の原告、弁護団、支援者のみなさん、この判決に至るまでのご苦労と働きに心から敬意と感謝を申し上げます。私たちはこれからも今後される控訴や現在審理中の各種の裁判に加わり、国と東電の責任を決定的なものにしていきましょう。明日のいわき地裁の判決も心から期待しているところです。
 2014年4月末、福島地裁に提訴されたこども被ばく裁判は、こども人権裁判と親子裁判の二つから成り立っています。こども人権裁判の原告は、福島県に住む小学生と中学生の20名です。彼ら彼女らは、自分たちの住む市と町を被告とし、安全な地域で教育を受ける権利の確認を求めています。
 しかし、被告側は授業を受ける者は、自治体に対し措置を求める原告に権利はない。また、低線量被ばくに対して健康リスクの見解が一致していない現状において、自治体が何らかの措置を取る義務はない、と主張しています。
 また、もう一つの親子裁判の原告160名は、福島原発事故が起きても国や県が適切な被ばく回復措置を講じなかったため、こどもが無用な被ばくを強いられたとして国や県に対して原告一人に10万円の損害賠償を求め、SPEEDI等の情報提供や安定ヨウ素剤が配られなかったこと、文科省20ミリシーベルト通達によって学校が再開された問題、山下修二氏の安全宣言問題等を争点としています。
 さらに、低線量被ばくと内部被ばくを大きな争点の柱として、この裁判は進んでいます。つまり、この裁判は福島原発事故以後の放射線防護対策の是非を真正面から問う裁判であり、被ばくによる健康被害の損害なのではなく、無用な被ばくそのもが損害であると捉える初めての裁判です。ご想像の通り、見えないものの損害やリスクを問うて争点とすることには困難が伴います。
 しかし、先週の東京訴訟判決の低線量被ばくのLNDモデルを合理性があると認めたことを追い風として、低線量被ばくと内部被ばくのリスクを裁判で認めさせることで、原告の命や健康、権利が守られるだけでなく、福島県内や放射線汚染のある地域に住むこどもの命や権利も守らせることができると私たちは信じています。これまでに出された13件の公判には関東や関西、時には九州から支援者や60名を超える人たちが集まり裁判の傍聴をしています。毎回行われる意見陳述で訴える親たちの手は震えています。それは、緊張からくる震えではなく、湧き上がる怒りを必死で抑えている震えです。
 今でも放射能を怖がっているのかと言われるが、親が我が子の心配をして何が悪いのかと父親が訴えます。野球に打ち込む時の息子が最も輝いており、彼を応援する自分も本当に幸せを感じる。しかし、試合中に舞い上がる砂埃を見るとセシウムボールが落ちてきているので吸い込んでしまうのではないか、内部被ばくで息子の健康が蝕まられるのではないかと不安が募る。だからこそ、土壌汚染の測定をして欲しいと母親が訴えるのです。
 昨年の8月第11回裁判には、母親に抱かれた幼子から夏休みで避難先から自宅に戻っている小学生から高校生たち7名が原告席に座り、真向かいに座る原告側代理人20にんを見据えていました。彼ら彼女らの視線を制止できる原告代理人はいなかったと思います。真にその光景は圧巻でした。しかし、それはこどもたちを原告席に座らせるような現実を私たち大人が作ってしまったこと、こどもたちに保証されていた安心して暮らす権利を奪ってしまった証拠でもありました。
 2015年の夏から昨年の3月まで被団連は、区域外避難者の住宅無償提供の支援打ち切りを阻止すべく福島県との交渉を重ねてきました。担当者は住宅支援の打ち切り、帰還政策を進める理由として、除染が進んだことや食の安全が確認された事等を取り上げていましたが、最後には必ず原発事故が起きても福島県内に住み続けた県民がいるのですと付け加えました。私は、その言葉を聞くたびに「冗談じゃない。私を勝手に福島県にとって都合の良い県民にするな」と怒りに震えていました。
 2011年3月11日以前から、一般住民を放射能被ばくから守るための原子力防災法と緊急時環境放射線モニタリング指針、そしてSPEEDIは有ったにも関わらず国や自治体、東電はそれを機能させず、自分たちの都合の悪いことは隠蔽し、不要に人々を被ばくさせ、それなのにこの7年自分たちの都合の良いように私たち県民を利用している。内堀県知事は、住宅支援を継続して欲しいと訴える福島県民には面会しないで復興を加速させる県民を笑顔で迎える。県民の総意として何度も福島第二原発の即時廃炉を求めているのに、東電は答えを引き延ばし安倍首相は企業が決める判断として責任を逃れ、原発の再稼働や海外輸出を決めている。一体この不誠実な態度のどこが被災者県民の一人一人に寄り添っているのでしょうか。
 そして、いま広がりつつある新たな福島安全論は、反原発、被ばく容認の立場をとっています。原発は反対、でもこの位の被ばくは問題ないとして福島県に住む人にとって安心とし、今でも放射能を危険と感じる人たちには自分たちが解明した正しい科学知識が必要だといいます。
 しかし、私たちは無知で臆病だから不安を感じるのではない。私たちの中の警報装置が、自分のこどもや自分の命が危険に晒されるかも知れないとあの爆発と同時に鳴り始めたのです。原子炉内にあるべき放射性物質が爆発によって飛び出した事実に不安を感じるのも、事故前には存在しなかった汚染が確認される地域で子育てする時、心配でならないのも当たり前の反応なのです。そして、警報装置が鳴りやまないのは、放射能の測定を重ねて分かった事実があり、この国の政権や東電、福島県が自らの責任を認めず原発事故被害者に誠意を持って向き合うことなく、その人々の生命や権利をないがしろにし続けているからです。
 この7年で気づいた事があります。それは、私たちには事実を知る力、真実を見抜く力、そして本当に重要な事を見分ける力が迫られているのです。その力をフルに使って共に声を挙げましょう。今日、自分が生きる場所でできることを真摯に取り組んでいきましょう。もはや私たちは権力を持つ者にとって都合の良い無力な市民ではないのです。

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