「つながろうフクシマ!さようなら原発大行動」記者会見

 1月10日、アルカディア市ヶ谷(東京都千代田区)で、呼びかけ人の大江健三郎さん、落合恵子さん、鎌田慧さん、澤地久枝さんが、アピール文の発表と、3月9日から11日に予定している「つながろうフクシマ!さようなら原発大行動」についての記者会見を行いました。

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鎌田慧さん

 この記者会見を開いた理由は、政権が代わって、これから脱原発運動をどうしていくのかということをお話したかったからです。アピール文をお手元にお渡ししています。
人類史上最大と言ってもいいような事故があっても、前の野田政権は原発の再稼働をしました。しかし、そのあとの世論の高まりの中で、2030年代というかなりいい加減な年数でしたけど、脱原発ゼロということを言っていました。しかし、世論の盛り上がりがずっとあって、その声が政権を追い詰めていったわけです。一つ強調しておきたいのは、あの選挙(昨年12月の衆議院選挙)は、原発をめぐる選挙ではなかったということです。そして、野田政権のやり口に対する国民の憤激が、民主党を拒否したということであったと思います。
今までの既得権益を守るというような意味で、財界の意向がすごく強くなっています。経済諮問会議でも、原発再稼働が当面の焦点になってくるというかたちで、財界でも発言があります。いま原発の再稼働が、あたかも打ち出の小槌のように、それで経済的な目的を達成できるという期待感につながっています。原発は、あの巨大な地域を荒廃させて、立ち上がることもできなくしているわけですし、人間はおろか、牛とか豚とか、様々な小動物、あるいは昆虫とか鳥とか、さまざまなものにまで影響を与えました。それは、本当に人間としての罪悪であったわけで、それをさらにこれからも行うのかということも問われていると思います。
もう一つは、速やかに原発から撤退して、新しい産業をつくっていく。未来のない産業にかじりついていくのではなくて、新たな産業、再生可能なエネルギーの産業を切り開いて、新しい経済成長をしていくということも今は求められていると思います。そういう意味で、新年にあたって、私たちは決意を新たにして、脱原発の運動を新たに盛り上げて、政府を動かしていく。原発の再稼働、新増設。もう一つの問題は、原発政策を維持するための再処理工場の稼働です。
既得権益を守るような動きに対して、個別に反対していく。今いろんな運動が、福島原発事故の後で起こっています。いろいろ現れた運動の人たちと今までも一緒にやってきましたけれども、さらに力をあわせていきます。そういう全国民的な大運動にしていく。みんなと一緒になって、力を合わせてやっていく運動の出発という、そういう風な意味合いで、今日の記者会見を設定しました。
脱原発基本法の動きもありますし、脱原発首長会議もありますし、脱原発世界会議という運動もあります。いまここで申し上げられないようないくつかの運動もおこっています。その人たちと、さらに強く手を結んで、脱原発をゆるぎないものにしていく。どんどん前に進めていくという思いです。

大江健三郎さん

 3.11からの2年間を考えていますと、私は78歳ですが、いま日本がどのようにあるか、アジアの中、世界の中でどうあるかということを考えるための、こういう時代を生きてきたのだということを考える機会でもあると私は考えていました。
 私が10歳のときに日本は戦争に敗れました。科学というものに関係して、世にも恐ろしいという気持ちを持ちました。国民学校(今の小学校)のとき、先生が広島と長崎の原爆は違うものだというお話をされました。よくわかったとはそのとき言いませんでしたが、それから成長するにしたがって、原爆投下から始まった戦後というものを生きてきたという気持ちが私には強くあります。
 いま起こっている原発事故というものが、なんとなく人間が後始末できるという方向に乗せるためには何年かかるのだろうと考えますが、それが出来上がる前に地球は終わるのではないかと思います。核の平和利用という考え方がアメリカから日本にやってきました。反対運動はありましたが、それは日本人の心をとらえました。原子力の平和利用の「恩恵」を生むところもあるのではという時代的な背景もあって、今日に至っています。
今年の正月、私がショックを受けた新聞の写真があります。それは朝日新聞で、経団連会長と新しく政権を担うことになった安倍首相が、非常に満足げに握手している写真です。本当に日差しのように明るい写真なのです。昨年の衆議院総選挙前には、2030年で原発をゼロにする、原子力から自由になるという総意と願いが示された時期がありました。選挙では政権を担っていた民主党が大きな敗北を喫しました。それを経て、完全に福島の事故はなかったものとして、これから「世界に誇れる原子力発電所」をつくっていこう、その技術を日本人は持っているというようなことが大新聞に。
現在もたくさんの人が集まって、首相官邸前で毎週大きなデモをしているということがあります。私は経団連会長と首相の上機嫌な顔というものが、今の日本人というものを表していると思いはしたけれど、そうではありません。それに対して、抵抗を続ける人々がいるということ。その方向へ自分も加わっていきたいという気持ちを持ちました。そして、3月のさようなら原発大行動のための、この記者会見にも来させていただいたわけです。
私が言った経団連会長と首相の話を、海外などから非常にたくさんの方がインタビューに来られまして話しました。とにかく技術を世界へ、原発を日本のこれからの繁栄の根拠にするのだ、海外に輸出するのだという、そういう政治家の意見を日本の大きい新聞社が、ほとんどすべてで大きく扱っています。それが驚くべきことだったと、ある外国人記者が言っていました。
私と仲の良い、外国から時々日本へ帰ってくる方がいます。彼から電話があって、私が言ったような新聞記事に対して、日本で大きな抵抗の声は起こっているのか、新聞社に抗議に行く人はいたのかと質問されました。私は、それはないだろうと答えました。同時に、そうは言っても大きいデモや行動が雨の中でもずっと行われていると話しました。
私たちの仲間だった加藤周一という人が、日本人はデモをすることまでは出来るようになったと言っていました。しかし、それを選挙に反映させること出来ないのではないかと5、6年前に私に言われました。その状況を今は変えていける可能性があるのだと、私は外国人記者の方たちに言いました。
人生で最初のショックだった敗戦のときにできた憲法を、私たちは持ち続けています。しかし、憲法9条のわれわれは軍備を持たないという、世界でもまれな条項を実現できているとは言えません。でもそれを実現しなければいけません。その憲法を一挙に変えてしまおうということを、非常に少ない数の日本人にしか支持されていない首相がやろうとしています。われわれがどれだけ、その勢力を追い詰めることができるか、(メディアは)見ていてくれということです。その延長線上に3月の「さようなら原発大行動」があって、それに多くの人が参加してくださいますように。

澤地久枝さん
 いま、ご自分のあり方を話された大江さんより、私は5歳年長です。瀬戸内寂聴さんは今年で91歳。曾孫さんがおられることを先日知りました。わが子、わが孫、それから先の子どもたちのために、私の命はどうなってもいいのに、なかなかお迎えが来なくてつらいとおっしゃっていました。非常に共感しますが、私は82歳だけど年齢のことはあまり言いたくないのです。ただ、体力が落ちてデモにも行けない、ということはあります。
 昨年の衆議院選挙の結果が報じられたとき、みんなでがっかりしました。あれだけの原発やめようという声は、いったいどこへ行ったのかというのが、最初の率直な感想でした。それから、毎日新聞社会部の方から「未来についてどう思うか」というインタビュー依頼があって、最初はお断りしたのですが、はっきり発言してくれと言われまして。加藤周一さんが、希望を捨てない人間に絶望はないとおっしゃった話をしました。私は生きているからには、希望を持っていたいし、かくあるべきという理想に向かって、少しでも力を尽くしたいと思っています。「9条の会」の呼びかけ人になっているのも、少しでもそのために力を尽くせればということです。
今日あたりの朝刊を見ても、防衛予算はまた広がりそうです。憲法第9条には、誰も手をつけていないけれども、実質的に形骸化しています。自衛隊を国防軍にしようと、自民党は言ったわけですね。そういうところまで来ています。大きなお金も使っています。予算が足りない、赤字が大きいと言いながら、自衛隊の費用は減るどころか、増えていく一方です。一方で、福祉や教育のお金を切り下げようとしています。だから、一般の人たちは、原発の放射能の脅威にさらされていると同時に、明日からの自分の生活がどうなるかという脅威にもさらされていると思います。
1月4日はすごく寒い日でしたけれども、経済産業省前のテントから、集会をやるといわれて行きました。あそこでは、経済産業省に関係ない者は立ち入り禁止という、大きな看板が取り付けられています。関係ないと言ったって、原発の問題に関係のある人たちが、交代で続けています。私は安倍内閣があれを取り払うのは時間の問題ではないかと思っています。時間の問題と言ったのは、「国防軍」も「憲法改正」もすぐに着手するのかと思っていたら、今は様子を見ているようです。だから、安倍内閣は思ったほど悪くないのではないかと言っている人もいます。安倍さんは、選挙民がどっちを向いているのか、測っているのだと思います。だから、私たちは試されていると思うのです。実際には、全国で憲法を守ろう、特に9条は守らなければいけないと思っている人がいますし、原発はやめなければならないという声があります。声があっても、まず中央の大きな新聞に載ることはないと思っていいです。
放射性廃棄物の始末というものが、まったく出来ていません。除染作業をしている人たちには、危険であることが何も伝えられずに、実に無防備なかたちで作業されています。廃液みたいなものは、草むらや川に流しているということがあります。こんなことをやっても放射能は消えないと思っている。ご自身が放射能の内部汚染によって、命を犯されているということを知らないのだと思います。でも、日本の技術者たちの間では、除染された放射性廃棄物をどう始末するかの答えがないですね。だから日本の原発は、今動いている2基を含めて直ちにやめさせたい。新しいものを作るなんてとんでもないですね。もう一つ、自分たちがどうにも出来ない原発の、よその国への輸出は禁止するということを、国際的にアピールするべきだと思います。一部の経営者たちが、よその国に遅れを取るまいと、お金儲けしようということですね。
かつて、無責任に大丈夫だといって、原発を導入した人たちは知らん顔しています。原発をやめようという人たちに対して、日本の高い技術や将来まで封印するのかと言いますが、これはある部分で、封印されて当然だと思います。未来の命のために、原発に反対という、私自身の姿勢というものを貫いていきたいと思います。

落合恵子さん
 私自身、新年のあいさつから「おめでとうございます」を消して、2度目のお正月を迎えました。広島に投下された原子爆弾の、およそ20個分と言われる放射性物質が放出された福島第一原発の事故以来、私が言うまでもありませんが、特にお子さんのいる保護者の方は、低線量被曝を恐れ、新年が来ない、おめでとうと言えない、という声をメールやその他でいただいています。
 長い間、原発を推進してきた自民党の政権が、無念なことに誕生してしまいました。集団的自衛権の行使とか、国防軍とかさまざまな策動があります。今は「穏やかに」やっているのでしょうが、怖いのは参議院選挙(今年7月)の後です。
 昨年12月30日、日本国憲法の起草に深く関わってこられ、特に女性の平等について起草されたベアテ・シロタ・ゴードンさんが亡くなりました。来日のたびに、お目にかかるベアテさんが、起草に自分が関わったと公にされたのは、1990年代に入ってからです。なぜ、ずっとおっしゃらなかったのですかとお聞きしたとき、当時22歳の女性が起草したと言っただけで、この国の多くの人は抵抗感を持つだろう。内容を吟味せず、額縁ですべてを決めていくだろう。それが私は怖かった。私の記憶で、一字一句、正しい言葉ではないかもしれませんが、そんなふうにおっしゃいました。そのベアテさんが、「もういい、大丈夫ですよね」と最後におっしゃいましたが、「もういいですよね」と言えない時代を、また迎えてしまったという焦燥感が私の中にあります。
 昨年は漫画「はだしのゲン」の原作者である中沢啓治さんも亡くなりました。お名前がなかったのですが、字の感じからたぶん青年です。「遅れてしまった年賀状」と書いてある年賀状に、その言葉はありました。自分は中学2年のときにはだしのゲンを読んだ。広島の平和記念資料館に行った。自分たちは何をしなければいけないのか、ずっと考えてきた。そして、その延長線上に原発の問題もあったけれど、どこか他人事だった。けれど、これからは原子力の時代は終わったという方向に向けて、しっかりと歩き出したいという、ある意味とてもうれしい年賀状でした。棄権率が高かった総選挙、一方でこんな一人の青年がいます。
 福島第一原発の過酷事故が起こる前、今となってみれば、大変優れた警告書だったと思いますが、「まるで原発などないかのように」という本を、専門家の方がお出しになっておられます。この本のタイトルをお借りするならば、私たちはあの日からまだ二年も経っていないのに、まるで原発事故などなかったかのような日々の中に、また逆戻りしていくのか。再び、まやかしの繁栄と平和利用とか、技術という言葉で、自分たちの人生と、あるいはこれからの生まれてくる、誕生前の命を含む、誕生前の命すらも、迷いの中にもう一度引き込んでしまうのか。この問いかけを私たちは、それぞれどんな職業に就いていても、自分自身にしていきたいという思いがありました。
 先ほど、澤地さんもおっしゃっていましたが、私も1月4日に経産省のテント広場に行ってきました。30分立っているだけでも頭が痛くなるような寒さの中、交代で泊まっている福島の方々を思うと、そしてその、彼ら、彼女たちの向こう側にいる福島で暮らしている方々を思うと、本当に胸が詰まります。故郷や子どもたちの未来を考えたら、誰があきらめることが出来ますか。広島から始まったこの原子力の時代を、本当に福島の方々には大変申し訳ない。その申し訳なさを含めて、福島で絶対終わらせたい。原子力の時代は終わったのだと言いたい。心から思っています。
 日本地図を頭に浮かべていただければ、おわかりのように、あの複雑な地形の中でどうして、本当の意味での除染が出来るのか、私には疑問があります。使用済み核燃料の処分場は決まっていない。今こうしている間にも、原発の貯蔵プールから、あふれだしそうな現実があります。また、敦賀原発や東通原発など、敷地内から、大変大きな地震を引き起こす可能性がある活断層が、次々と発見されています。福島第一原発の現場では多くの作業員の方が、今も働いていらっしゃるという現実も忘れてはなりません。
命を基本に考える。これは原発だけの問題ではなく、私たちの生き方が問われているテーマだと、私は位置づけたいと思います。
 3月9日のこの大きな集会。一部からは、もう多くの人が集まらないのではないか、みたいな意地悪な声が出ていますが、そんなことはありません。ご自分のお子さんやご自分のお孫さん、ご自分の愛する人を心の真ん中に置いて、どうか考えていただいて。大事なものが本当にあるのだということを、私たちは福島につながりつつ問い続けていきたいと思います。

(編集:事務局)

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